ここしばらく、カテゴリ熊野で、アウトドアや防災に関する様々な製品を紹介してきた。
私の阪神淡路大震災の被災体験を綴ってきたこのカテゴリ90年代でも、まとめ記事にしておきたいと思う。
以下にリンクを貼っておくので、詳しい紹介はそれぞれの記事で。
常備すべき防災グッズについて
防災ラジオライトについて
調理用具について
焚き火台について
ガスバーナーについて
ソロテントについて
緊急避難用テントについて
前室つきテントについて
刃物について
LEDランタンについて
キャリーカートについて
登山用ストック
アルミ蒸着断熱シートについて
常備しておくべき防災グッズは、以下のもの。
1、ポケットラジオ(AM、イヤホン必須)
2、小型LEDライト(ソーラーまたは単三・単四乾電池式)
3、着火ライター(ボディが透明でガス残量のわかるもの)
4、コンパス(とにかく使えればよし)
5、サバイバルシート
6、ペットボトル、新聞紙
7、ナイフ
1、2については、防災ラジオライトが一台あれば十分だ。気休め程度だが、ケータイの充電も一応可能。
●「H.C.5way マルチラジオ オレンジブリック」(mont-bell)
必要な機能と強度がそろっているが、ややかさばる。
●「AM/FM/SW手回し発電ラジオライトRAD-V963N」(オーム電機)
とにかく多機能コンパクト。やや強度不足か。
防災ラジオライトは便利だが多少かさばるので、携帯性を優先させるなら充電機能はあきらめ、単三・単四乾電池式のラジオとライトを別に用意した方が良い。
安価なものでも手元にあるとないとでは大違いなので、とにかく揃えて普段から持ち歩くのがベター。
●GENTOS LEDライト パトリオ
●ソーラーLEDライト キーホルダー
●AudioComm AM/FM ライターサイズラジオ
5のサバイバルシートは、最近の一押し防災グッズだ。
●サバイバルシート(防寒・保温シート)
見た目は薄っぺらな「でかいアルミホイル」だが、意外に破れにくく、断熱効果が高い。
これ一枚で完全に寝袋の代わりが務まるかというとそれは無理だが、いざという時このシートが一枚あれば、それだけで生死を分けるシーンも出てくるのではないかと思う。
価格も安く、購入状態ではポケットティッシュ程度のサイズと重さ。
一応「使い捨て」ということになっているが、一度使うとくしゃくしゃになってコンパクトにたためなくなるものの、数回は使用可能だと思う。
防災だけでなく、アウトドア・登山でも必須アイテムになるだろう。
最近は専門店だけでなく、ホームセンターやスーパーでも同種の製品が取り扱われているので、明日にでも何個か購入しておくことを強くお勧めします。
刃物はカッターナイフでも良いから、しっかりしたものを一つは身に付けておきたい。
多機能ナイフなら、プライヤー(ペンチ)タイプのものがお勧めだ。
●GERBER ベア・グリルス コンパクト マルチツール
実用に耐えるぎりぎりの小ささで、ペンチやナイフ、ドライバーなど使用頻度の高い機能がそろっているのが良い。とくに「波刃」はロープ切断に非常に便利だ。
自分なりに防災グッズを揃えようとすることは、「防災意識」を持つことにつながる。
そのとき、自分はどうするか?
平時のうちに、あれこれ思考をめぐらせておきましょう!
2013年02月16日
2013年06月19日
再掲 70年代、90年代、2010年代
最近とみに「ああ、俺は今、90年代の後始末をやってるな」と感じることがよくある。
このカテゴリ90年代を断続的に書き続けていることもそうだ。
阪神淡路大震災についてはひとしきり綴り終えたので、その他のことについてもぼちぼち書いていきたい。
まずは以前の記事を再掲。
-------------------------------
個人的に、1995年と2011年はけっこう似ている感じていた。
何よりも両年とも大震災の年であったし、オウム関連でも2011年から2012年にかけて、動きがあった。
はじめは私のごく個人的な感じ方かと思っていたのだが、鈴木邦男さんが2012年の年頭ブログで同じような指摘をしていたのを読み、「自分だけではなかったのだな」と思った。
最近感じるのは、2010年代の世相が、90年代のそれと似た雰囲気のものになりつつあるのではないかということだ。
90年代はとくにカルチャーの面で、70年代リバイバルといった雰囲気が強かった。
だから90年代とよく似た2010年代も、70年代の世相と繋がってくる面があるかもしれない。
もう少し具体的に書いてみよう。
私は90年代半ばごろから、やや真面目に神仏関連の読書をはじめたのだが、その当時よく読んでいた本の中に、以下のものがある。
●「宗教を現代に問う〈上中下〉」毎日新聞社特別報道部宗教取材班(角川文庫)
1975〜76年にかけて、毎日新聞紙上で274回にわたって連載された記事の集成。
単行本は76年、文庫版は89年に刊行された。
70年だ半ばの時点での宗教状況について、広範に取材された労作である。
上巻には当時の水俣の取材も含まれており、今そこにある地獄の中で、地元で多くの門徒をかかえる浄土真宗や、民間宗教者がどのように苦闘したかが記録されている。
私が本書を手にした時には初出から20年が経過していたが、ほとんど違和感なく「現代」の内容として読み耽ったことを覚えている。
そこから更に20年弱が経過した今読んでみても、多くの内容で「現代」そのものを感じる。
70年代、90年代、2010年代の、とくにカルチャーの分野がよく似て見える理由は、なんとなく理解できる。
70年代の文化を空気として呼吸した子供達は、90年代には青年となって表現する側にまわり、リバイバルの原動力になっただろう。
70年代の青年は90年代には「先達」となって、日本各地に、何かを表現したい若者が集える「場」を作り上げていた。
それから20年経った2010年代にも、同じようなスライドが起こっているのではないだろうか。
昨今の反原発デモの映像の中に、年配の方々の表現を借りれば「ヒッピー風」の若者たちの姿がよく見られるのも、たぶんこうしたスライド現象が根底にあると思う。
今につながる70年代の精神文化については、以下の本も非常に面白い。
●「終末期の密教―人間の全体的回復と解放の論理」稲垣足穂 梅原正紀(編)
そして、最後に追記である。
この本をここで紹介することには、ためらいがあった。
内容の重さがお手軽なレビューを拒む本というものがあって、間違いなくこの本もそうした一冊だ。
●「黄泉の犬」藤原新也(文春文庫)
本書の第一章は、水俣にほど近い海辺に生まれた、ある兄弟の物語から始まっている。
その物語は、70年代と90年代、そして現在を結び、ミナマタからフクシマへと続く国と企業による「虐殺」を、地獄の側から凝視するものである。
本書の存在が、読むべき人たちに十分認識されているとは言い難いのが残念でならないのだが、重すぎる内容が逆に足枷となってしまっているのはやむを得ないのかもしれない。
私は今の時点で、この本について詳しく書く準備ができていないのだが、ここまでのごく簡単な紹介でも、読む人が読めば何のテーマについて扱った本なのかピンとくることと思う。
そういう人にはぜひ一度手に取って見てほしい一冊だ。
このカテゴリ90年代を断続的に書き続けていることもそうだ。
阪神淡路大震災についてはひとしきり綴り終えたので、その他のことについてもぼちぼち書いていきたい。
まずは以前の記事を再掲。
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個人的に、1995年と2011年はけっこう似ている感じていた。
何よりも両年とも大震災の年であったし、オウム関連でも2011年から2012年にかけて、動きがあった。
はじめは私のごく個人的な感じ方かと思っていたのだが、鈴木邦男さんが2012年の年頭ブログで同じような指摘をしていたのを読み、「自分だけではなかったのだな」と思った。
最近感じるのは、2010年代の世相が、90年代のそれと似た雰囲気のものになりつつあるのではないかということだ。
90年代はとくにカルチャーの面で、70年代リバイバルといった雰囲気が強かった。
だから90年代とよく似た2010年代も、70年代の世相と繋がってくる面があるかもしれない。
もう少し具体的に書いてみよう。
私は90年代半ばごろから、やや真面目に神仏関連の読書をはじめたのだが、その当時よく読んでいた本の中に、以下のものがある。
●「宗教を現代に問う〈上中下〉」毎日新聞社特別報道部宗教取材班(角川文庫)
1975〜76年にかけて、毎日新聞紙上で274回にわたって連載された記事の集成。
単行本は76年、文庫版は89年に刊行された。
70年だ半ばの時点での宗教状況について、広範に取材された労作である。
上巻には当時の水俣の取材も含まれており、今そこにある地獄の中で、地元で多くの門徒をかかえる浄土真宗や、民間宗教者がどのように苦闘したかが記録されている。
私が本書を手にした時には初出から20年が経過していたが、ほとんど違和感なく「現代」の内容として読み耽ったことを覚えている。
そこから更に20年弱が経過した今読んでみても、多くの内容で「現代」そのものを感じる。
70年代、90年代、2010年代の、とくにカルチャーの分野がよく似て見える理由は、なんとなく理解できる。
70年代の文化を空気として呼吸した子供達は、90年代には青年となって表現する側にまわり、リバイバルの原動力になっただろう。
70年代の青年は90年代には「先達」となって、日本各地に、何かを表現したい若者が集える「場」を作り上げていた。
それから20年経った2010年代にも、同じようなスライドが起こっているのではないだろうか。
昨今の反原発デモの映像の中に、年配の方々の表現を借りれば「ヒッピー風」の若者たちの姿がよく見られるのも、たぶんこうしたスライド現象が根底にあると思う。
今につながる70年代の精神文化については、以下の本も非常に面白い。
●「終末期の密教―人間の全体的回復と解放の論理」稲垣足穂 梅原正紀(編)
そして、最後に追記である。
この本をここで紹介することには、ためらいがあった。
内容の重さがお手軽なレビューを拒む本というものがあって、間違いなくこの本もそうした一冊だ。
●「黄泉の犬」藤原新也(文春文庫)
本書の第一章は、水俣にほど近い海辺に生まれた、ある兄弟の物語から始まっている。
その物語は、70年代と90年代、そして現在を結び、ミナマタからフクシマへと続く国と企業による「虐殺」を、地獄の側から凝視するものである。
本書の存在が、読むべき人たちに十分認識されているとは言い難いのが残念でならないのだが、重すぎる内容が逆に足枷となってしまっているのはやむを得ないのかもしれない。
私は今の時点で、この本について詳しく書く準備ができていないのだが、ここまでのごく簡単な紹介でも、読む人が読めば何のテーマについて扱った本なのかピンとくることと思う。
そういう人にはぜひ一度手に取って見てほしい一冊だ。
2015年01月17日
2015年06月27日
書きたいならば
90年代後半、世を震撼させた少年犯罪の当人が、著作を発表したという。
今のところその本を買って読むつもりは無く、人に紹介するつもりもない。
出版に関わるネット上の議論に加わるつもりもないので、検索避けに書名等は一切書かない。
ただ、事件発生現場から一時間以内の距離に居住していた当時の記憶と、「ものを書くこと」ついての個人的な考え方を覚え書きにしておく。
事件は90年代の世相を語る上で欠かせないものとして、大震災、カルトの引き起こした無差別テロと並んで記憶されている。
犯人がまだ十代前半だったことが、犯行の凶悪さと比して衝撃的だった。
事件発生当時、私の居住していた区域は大震災から二年目で、その名残がまだまだ目についていた。
さすがに瓦礫は片付けられ、ライフラインは復旧して日常生活は戻っていたものの、被災者の精神と経済状態は「非常時」を脱しきっていなかった。
そんな中、程近い地域で発生した凶悪犯罪である。
余裕の無い被災地域の住人にとっても、やはり衝撃は大きかった。
幼い子供を守るために送り迎えや公園遊びは「厳戒体制」に近い状態だったと記憶している。
逮捕に至る前に報道等でプロファイルされていた犯人像は、過去に起こった類似すると思われる犯罪から、実際よりもっと年齢が高く想定されていた。
報道は警察からのリークが元にされるので、捜査でも当初はそのような犯人像を想定していたのだろうと思う。
地元の日本最大のヤクザ組織が、面子にかけて独自に犯人を追っているという噂もあったが、結局めぼしい成果は現れなかった。
もし噂が本当だったとしても、ヤクザの守備範囲であるアウトローや不良の界隈からは、何も情報が上がってこなかったのだろう。
「犯罪歴がなく、付き合いの広くない、ある意味マニアックな嗜好をもつ20代から30代男性」
毎日のように報道で流されるそんなプロファイルは、当時の私の属性そのものだった。
事件以前、私は好んで夜の散歩をしていた。
震災前は海沿いの工業地帯の夜景を眺めるのが好きだったし、風呂なしアパートだったので散歩がてら遠くの銭湯まで出掛けることも度々だった。
震災後も、破壊された街が徐々に片付けられていく中を、物思いに耽りながら歩き続けていた。
そんな夜の散歩は学生時代からのささやかな楽しみだったが、事件発生直後から控えるようになった。
頻度を増した職務質問に閉口したのだ。
元々学生街だったこともあり、夜間に若者が往来していることには比較的寛容な地域だったと思うのだが、震災やカルト宗教の一件があって警戒レベルが一段階上がっていたところに、近接する地域の凶悪犯罪がきっかけで、さらに厳しくなった感触があった。
もちろん私は事件とは無関係だったが、何かのきっかけで職質がこじれたら面倒だなと思ったのを覚えている。
ボロアパートの自室には宗教関連の本が山積みになっていたし、他人には何を描いているか分かりにくいであろう絵がいっぱいあったし、劇団時代に使っていた工具類もまだ豊富に残っていた。
我ながら、怪しすぎるのである。
その2年前のカルト宗教の事件の時も、職質には警戒していた。
折悪しく、私は頭を丸めていた。
別に出家していたわけではなく、震災の影響で中々風呂には入れなかったせいなのだが、坊主頭と年齢層、怪しい自室の様を自覚していたので、なるべく職質に会わないよう気を付けていた。
牧歌的な学生街の雰囲気が失われ、変にぎすぎすした監視体制への移り変わりを、身をもって体験してきたのだ。
あれから時は流れ、犯人ももう三十代になるという。
私は罪を犯した人間が手記を発表すること自体は否定しない。
これまでにもいくつかそうした手記は読んできた。
読んで自分の中にも存在する狂った部分を知り、たまたま巡り合わせで罪を犯さずにこれまで生きてこれた幸運を知った。
しかし、今回の件のように、今になって匿名でというのは筋が通らないと思う。
低年齢の特異な凶悪犯罪ということを考えれば、本人の責任の及びがたい資質や環境の面も考慮しなければいけなかったのは理解できる。
自ら犯した罪を悔い、誰でもない市井の一人として残りの人生を償いにあてると言うならば、匿名に守られることも理解できる。
しかし、事件のことを書きたいならば、話は別だ。
被害者遺族の感情を無視しても、書いたものを世に出したいと言うならば、名前と顔を出すべきだ。
ぶっちゃけ、出せば売れるのである。
ものを書き、しかも自分の犯罪行為を売り物に、少なくない銭を得るならば、一切の甘えは許されない。
顔と名前を晒し、世界中から罵られ、石もて追われる覚悟がなければ、釣り合いがとれない。
その程度の覚悟のない手記は、読む前から「読む価値無し」と断定できる。
少なくとも、私はそう考えるのである。
今のところその本を買って読むつもりは無く、人に紹介するつもりもない。
出版に関わるネット上の議論に加わるつもりもないので、検索避けに書名等は一切書かない。
ただ、事件発生現場から一時間以内の距離に居住していた当時の記憶と、「ものを書くこと」ついての個人的な考え方を覚え書きにしておく。
事件は90年代の世相を語る上で欠かせないものとして、大震災、カルトの引き起こした無差別テロと並んで記憶されている。
犯人がまだ十代前半だったことが、犯行の凶悪さと比して衝撃的だった。
事件発生当時、私の居住していた区域は大震災から二年目で、その名残がまだまだ目についていた。
さすがに瓦礫は片付けられ、ライフラインは復旧して日常生活は戻っていたものの、被災者の精神と経済状態は「非常時」を脱しきっていなかった。
そんな中、程近い地域で発生した凶悪犯罪である。
余裕の無い被災地域の住人にとっても、やはり衝撃は大きかった。
幼い子供を守るために送り迎えや公園遊びは「厳戒体制」に近い状態だったと記憶している。
逮捕に至る前に報道等でプロファイルされていた犯人像は、過去に起こった類似すると思われる犯罪から、実際よりもっと年齢が高く想定されていた。
報道は警察からのリークが元にされるので、捜査でも当初はそのような犯人像を想定していたのだろうと思う。
地元の日本最大のヤクザ組織が、面子にかけて独自に犯人を追っているという噂もあったが、結局めぼしい成果は現れなかった。
もし噂が本当だったとしても、ヤクザの守備範囲であるアウトローや不良の界隈からは、何も情報が上がってこなかったのだろう。
「犯罪歴がなく、付き合いの広くない、ある意味マニアックな嗜好をもつ20代から30代男性」
毎日のように報道で流されるそんなプロファイルは、当時の私の属性そのものだった。
事件以前、私は好んで夜の散歩をしていた。
震災前は海沿いの工業地帯の夜景を眺めるのが好きだったし、風呂なしアパートだったので散歩がてら遠くの銭湯まで出掛けることも度々だった。
震災後も、破壊された街が徐々に片付けられていく中を、物思いに耽りながら歩き続けていた。
そんな夜の散歩は学生時代からのささやかな楽しみだったが、事件発生直後から控えるようになった。
頻度を増した職務質問に閉口したのだ。
元々学生街だったこともあり、夜間に若者が往来していることには比較的寛容な地域だったと思うのだが、震災やカルト宗教の一件があって警戒レベルが一段階上がっていたところに、近接する地域の凶悪犯罪がきっかけで、さらに厳しくなった感触があった。
もちろん私は事件とは無関係だったが、何かのきっかけで職質がこじれたら面倒だなと思ったのを覚えている。
ボロアパートの自室には宗教関連の本が山積みになっていたし、他人には何を描いているか分かりにくいであろう絵がいっぱいあったし、劇団時代に使っていた工具類もまだ豊富に残っていた。
我ながら、怪しすぎるのである。
その2年前のカルト宗教の事件の時も、職質には警戒していた。
折悪しく、私は頭を丸めていた。
別に出家していたわけではなく、震災の影響で中々風呂には入れなかったせいなのだが、坊主頭と年齢層、怪しい自室の様を自覚していたので、なるべく職質に会わないよう気を付けていた。
牧歌的な学生街の雰囲気が失われ、変にぎすぎすした監視体制への移り変わりを、身をもって体験してきたのだ。
あれから時は流れ、犯人ももう三十代になるという。
私は罪を犯した人間が手記を発表すること自体は否定しない。
これまでにもいくつかそうした手記は読んできた。
読んで自分の中にも存在する狂った部分を知り、たまたま巡り合わせで罪を犯さずにこれまで生きてこれた幸運を知った。
しかし、今回の件のように、今になって匿名でというのは筋が通らないと思う。
低年齢の特異な凶悪犯罪ということを考えれば、本人の責任の及びがたい資質や環境の面も考慮しなければいけなかったのは理解できる。
自ら犯した罪を悔い、誰でもない市井の一人として残りの人生を償いにあてると言うならば、匿名に守られることも理解できる。
しかし、事件のことを書きたいならば、話は別だ。
被害者遺族の感情を無視しても、書いたものを世に出したいと言うならば、名前と顔を出すべきだ。
ぶっちゃけ、出せば売れるのである。
ものを書き、しかも自分の犯罪行為を売り物に、少なくない銭を得るならば、一切の甘えは許されない。
顔と名前を晒し、世界中から罵られ、石もて追われる覚悟がなければ、釣り合いがとれない。
その程度の覚悟のない手記は、読む前から「読む価値無し」と断定できる。
少なくとも、私はそう考えるのである。
2016年01月17日
90年代のおとしまえ
1月17日である。
私にとっては何よりも阪神淡路大震災被災の日、あれからもう21年たった。
忘れ得ぬ記憶も多いが、時と共に風化する部分もやはりある。
まずは、防災意識を。
昨年は震災に加え、私が最も影響を受けた作家である平井和正さんの訃報があった。
この一年、平井和正の晩年の様子はも、ネットを通じてわずかに漏れ聞こえてきた。
最後の数年は気力体力ともに落ち、作品を紡げる状態ではなかったようだ。
あの平井和正が、という思いは当然ある。
書くことが生きることとほぼイコールであるような生き様を貫いてきた作家である。
その平井和正ですら、書き続けて死ぬことはできなかったのか。
同時に、やはり平井和正も、という思いもある。
歳をとれば体は衰える。
体が衰えれば気力も衰えるという人間として当たり前の変化は、いくら作家として稀有な存在であっても避けようがない。
私はとくに80年代後半から90年代前半にかけ、平井作品を読み耽っていた。
90年代は震災とカルトの印象が強烈で、私自身もその波をまともに受けていたのだが、平井作品の愛読者であったことは、しぶとく生き延びてこれた原動力の一つになった。
いくら感謝してもしきれないのである。
90年代と2010年代の世相が似て見えることについては、これまでにも何度か書いてきた。
90年代を引きずりながら、なんとかそのおとしまえをつけようともがいている同世代を見かける機会も多い。
私自身のおとしまえも、何らかの形でつけていかなければならない。
私にとっては何よりも阪神淡路大震災被災の日、あれからもう21年たった。
忘れ得ぬ記憶も多いが、時と共に風化する部分もやはりある。
まずは、防災意識を。
昨年は震災に加え、私が最も影響を受けた作家である平井和正さんの訃報があった。
この一年、平井和正の晩年の様子はも、ネットを通じてわずかに漏れ聞こえてきた。
最後の数年は気力体力ともに落ち、作品を紡げる状態ではなかったようだ。
あの平井和正が、という思いは当然ある。
書くことが生きることとほぼイコールであるような生き様を貫いてきた作家である。
その平井和正ですら、書き続けて死ぬことはできなかったのか。
同時に、やはり平井和正も、という思いもある。
歳をとれば体は衰える。
体が衰えれば気力も衰えるという人間として当たり前の変化は、いくら作家として稀有な存在であっても避けようがない。
私はとくに80年代後半から90年代前半にかけ、平井作品を読み耽っていた。
90年代は震災とカルトの印象が強烈で、私自身もその波をまともに受けていたのだが、平井作品の愛読者であったことは、しぶとく生き延びてこれた原動力の一つになった。
いくら感謝してもしきれないのである。
90年代と2010年代の世相が似て見えることについては、これまでにも何度か書いてきた。
90年代を引きずりながら、なんとかそのおとしまえをつけようともがいている同世代を見かける機会も多い。
私自身のおとしまえも、何らかの形でつけていかなければならない。