2017年12月30日

ブログ開設から一巡り、本日十二周年!!

 神仏与太話ブログ「縁日草子」、本日めでたく十二周年です。
 2005年末、当時流行りだったブログというものを自分でも一丁やってみるかと、軽い気持ちでの開設でした。
 匿名でできること、あまり「交流」目的ではなくてもできることが性に合い、その後のSNSの流行り廃りとは距離を置きつつ、ここまでボチボチやってこれました。
 この十二年で記事数1500余り、一日あたりのアクセス人数は一時数百まで伸びていましたが、ここ数年はブログ自体の人気低迷と共に150〜200人程度に落ち着いています。
 こちらseesaaブログの無料サービスもいつまで続くかわかりませんが、今後も行けるところまで現体制で続けていく所存です。

 今年2017年は、ほとんど一年中「90年代のおとしまえ」に使ってきた気がします。
 90年代に私が見てきた風景は、2011年1月から阪神淡路大震災被災体験などを、ぼちぼち覚書にしていました。
 その後長らく手付かずだったのですが、年頭にふと「今なら書ける!」と思い立ち、その他の様々な体験や、かのカルト教団のテロ事件に関して考えていたことを、一年かけて書き続けてきました。
 今年はこれとプラモ作りしかやってないかも(笑)

 プラモ・フィギュア作例まとめ

 ガンプラ旧キットを一個一個完成させつつ、70〜80年代サブカルチャーのことを覚書にしていったことが良い相乗効果を生んで、思っていたよりずっと掘り下げることが出来ました。

 カテゴリ「90年代」と関連記事を、内容と時系列で整理してみると以下のようになります。

●93〜94年、小劇場の舞台美術を担当していた頃
 祭をさがして-1
 祭をさがして-2
●同時期の94年、古い友人に誘われ、不思議な祭に参加
 月物語
●そして95年、阪神淡路大震災被災
 震災記GUREN-1
 震災記GUREN-2
 震災記GUREN-3
●震災と、それに続くカルト教団のテロ事件に衝撃を受けた顛末
 祭の影-1
 祭の影-2
●生来の孤独癖をこじらせ、一人に戻った顛末
 本をさがして-1
 本をさがして-2
 本をさがして-3
 本をさがして-4
 へんろみち-1
 へんろみち-2
 へんろみち-3
 へんろみち-4

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 ヤマトと仲なおり
 ヤンキーサブカルチャー

 終末サブカルチャー
 「終末後」のサブカル
 世紀末サブカルチャー
 黒い本棚(70〜80年代オカルトサブカルチャー)

 へんろみち 90年代熊野-1
 へんろみち 90年代熊野-2

●カテゴリ「90年代」最終章へ
 青春ハルマゲドン-1
 青春ハルマゲドン-2

 関連記事も含めると、この一年におそらく400字詰め換算で1000枚以上、書きに書きました。
 絵も文章も、「気持ちよくかけてる」という状態は、本当に貴重です。
 こういう時は後先考えず、「書いてどーする?」「誰に読んでもらえる?」などと余計なことは考えず、ただただ書くに限ります。
 久々に「完全燃焼」を味わえた一年でした。

     *     *     *

 年内はこれで最後の記事更新になると思います。
 それでは皆様、良いお年を!
posted by 九郎 at 16:00| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

青春ハルマゲドン9

 果たしてハルマゲドンは来るか、来ないか?

 そう問われれば、私は2010年代の今現在でも「来る」とか、「もう来ている」と答えざるを得ない。
 何度か書いてきたが、通常の科学的未来予測であっても、現代文明がこのまま千年も二千年も続くと考えるのは、かなり楽観的な論者によるものだろう。
 人為的な「終末」はとっくの昔に可能になっていて、突発的な事故や戦争により、かなり短期間に破滅的状況が現出する可能性は、決してゼロにはならない。
 それを回避できたとしても、環境破壊や資源の枯渇、散発する人為や自然災害により、現代文明が先細りになっていくという予測は、むしろ極めて常識的だ。
 数百年もてば御の字ではないだろうか。
 個人にとっての数百年は長く感じるけれども、たとえば地球の過去に起こった恐竜の大絶滅等と比較すれば、はるかに短い「一瞬の出来事」になってしまう。
 そのような意味での終末、ハルマゲドンは、間違いなく進行中だ。

 ただ、特定の年限を切ってバタバタと「人類滅亡」が訪れるというような予言の類は、はっきり否定する。
 それは決して当たらないし、そのような言葉を吐くものは偽物だ。
 その偽物が、金目当ての単なるペテン師であればまだ良い。
 せいぜい財産を巻き上げられるだけで済む。
 しかし、教祖が「本気」で幻想を信じている場合、金だけでは済まない「魂の地獄」が待っている。
 自身が病んだ教祖の周囲には、似た傾向を持つ信者が誘引されていく。
 閉鎖された相互の共振でハルマゲドンの病状は悪化していき、やがて臨界点を迎える時が来る。

 ある程度人材のそろった集団が終末カルト化すると、かなりのことが出来てしまうのが現代社会だ。
 それでも在野であり、私的な集団であるなら、自ずと限界はある。
 ヤクザ、暴力団のことを近年は「反社会的勢力」と呼称するが、アウトロー集団は社会の歪みに便乗することは出来ても、社会自体を破壊する能力も意思もない。
 いつの時代、どのような地域でも、「国や社会を壊す」結果を生むのは、国家体制たる「官」が腐敗したり、カルト化した場合だけだ。
 そうした「国自体のカルト化」は、他ならぬ日本でも近代史の中で起こった。
 戦前、戦中の国家神道体制である。
 もっとも危険視すべきは、こうした事態だ。

 日本古来の信仰とは何か?
 この答えは一つではない。
 歴史上のどの時点をスタンダードとするかで様々な考え方が可能だ。
 一応「記紀神話」が日本古来のものとされることが多いが、それは近世になって以降の、国学〜復古神道〜国家神道という一連の流れをくんだ発想だ。
 純粋な本来の神道というものが、歴史上のどこかの時点に存在したわけではない。
 事実だけ視るならば、古事記・日本書紀は成立当時有力だった各氏族の伝承を(かなり政治的に)集大成した「その時点での創作神話大系」だ。
 宗教、宗派に関わらず、改革や中興が行われる時にはしばしば「復古運動」の形が取られる。
 しかしそれは、一種のフィクションだ。
 実際の庶民の信仰では雑多な神仏習合の時代の方がはるかに長いし、長さだけで言うなら記紀よりはるか以前から続いたアニミズムこそが「本来の姿」ということになる。
 国家神道などは「きわめて短期間で破綻した近代日本の新興宗教」でしかない。
 史実ではありえない神話を現実の天皇制に仮託して強引に「復古」し、たった数十年ほどで破綻し、国を滅ぼした官製カルト宗教だったのだ。
 旧日本軍の大半は、ろくな補給もなされないままに、無意味な精神論で追いたてられ、戦闘行為以前に飢えと病に倒れ、多くの若者が命を落としていった。
 戦艦大和は時代遅れの大艦巨砲主義で実戦の役に立たず、神風特攻隊は戦局になんの影響もなかった。
 銃後の国民生活は窮乏し、国土は灰燼に帰した。
 国家神道は間違いなく日本史上最悪最凶のカルトで、これに比べれば90年代のテロ教団などミニチュア模型に過ぎないとも言える。

 国家神道的、旧日本軍的在り方、デザインは、サブカルチャーとしてかなり強力だ。

【関連記事】
 ヤマトと仲なおり
 ヤンキーサブカルチャー

 戦前戦中の日本人も大多数は、暴力的な強制ももちろんあったが、主にサブカルチャーとしての「八紘一宇」「七生報国」「神風特攻隊」に熱狂し、進んで挺身、戦争協力の泥沼に沈み込んでいった。
 明治に新生した近代日本は、「国家の青年期」に終末カルト化し、自滅したという見方もできるだろう。

 日本のファシズムに「次」があるとするなら、それは必ず強力なサブカルチャーと共にやってくる。
 旧日本軍的デザインはスタイリッシュにリファインされ、「和」のテイストが強調されるだろう。
 広告には国家予算が投じられ、アイドルユニットやリアルメカアニメ等のキャラクター商品展開も活用されるだろう。
 手続き上はあくまで「民主主義」の形が守られながら、事態は粛々と進行する。
 戦闘員調達は給付型奨学金などの経済支援とセットにされ、形式としては「志願兵」の建前を持った「経済徴兵制」がとられるだろう。
 スピリチュアル的な「魂の不滅」「魂の進化」の物語が、「七生報国」「神風特攻隊」を復活させるかもしれない。
 サブカルチャーで「何を」「どのように」表現すれば売れるかというノウハウには、既に膨大な蓄積がある。
 後は「強権的な国家の予算投入」の一押しだけで、それらは簡単に実現してしまう可能性がある。
 直近に迫った「国家イベント」で、どのように金が使われ、どのような広告戦略で、どのように人員が調達されるか、醒めた目で観察しておくのが良い。

     *     *     *

 夭折の詩人やミュージシャン、自殺した作家や表現者、主人公の「死」で終わる物語に心惹かれる若者は、心しておいた方が良い。

 青年はサブカルチャーに一度死ぬ

 そうした傾向を持つ若者の中には、短期的なハルマゲドン幻想に呑み込まれやすいタイプが一定数存在する。
 心の中に抱え込んだ傷に突き動かされ、世界もろとも「純粋な今の自分」を燃やし尽くす幻想に憑依されるのだ。
 そのような兆候を感じたら、教祖探しなどする前に、まず以下の一冊を手に取ってみることをお勧めしたい。


●「青春の夢と遊び」河合隼雄(岩波現代文庫)
 死や世の終末、オカルトに惹かれることは、本来は青年期にありがちな心の傾きの一つだ。
 この一冊は、そうした心情が決して「異常」ではなく、心の成長の大切な一過程であることが、ふわりと抱擁するような筆致で解説されている。
 青年の心のハルマゲドンは、できれば個人の内面や表現行為の中で、収束させるのが望ましい。
 ラストシーンを「ハッピーエンド」の形に持っていけるなら、なお良い。
 それが可能になるよう手助けしてもらえる相談者こそ求めるべきで、カリスマ教祖である必要はないのだ。

 人間は、いともあっさり死ぬことも確かにあるが、大多数はなかなか楽には死ねないものだ。
 戦争や経済崩壊、事故や自然災害があったとしても、そんな破局状況の中で人は、食べたり眠ったり楽しんだり悲しんだりという日常生活を送っていかなければならない。
 泥まみれ、汚染まみれで黄昏を迎えたこの娑婆で、もがきながらも生きて行くしかない。
 あのテロ事件の教祖も信者も、「自作自演したハルマゲドン」以後の、気の遠くなるような長い長い日常を、今も生きている。

 何よりも大切なのは、平凡な日常をしぶとく生きるタフさだ。
 90年代の「青春ハルマゲドン」を生き残って(あるいは死に損なって)、本当にそう思う。

     *     *     *

 一年ほど前、映画「この世界の片隅に」を観た。
 印象的な画面が目白押しの素晴らしい映画だったが、今でもたまに反芻するシーンがある。
 終戦の場面である。
 玉音放送を聴いた主人公・すずさんが、一人裏庭に出て、地面を叩きながら慟哭する。
 その時の独白が、言葉通りに受け取ると非常に「好戦的」で、まるで敗戦を悔しがり、戦い抜きたがっているかのようなのだ。
(あの大人しいすずさんが、なぜ?)
 そんな疑問を感じた人も、多かったのではないだろうか。
 その時すずさんが感じた「悔しさ」、私はなんとなくわかる気がするのだ。

 何度も書いてきたが、私は中高生の頃、カルト教団じみた、または戦前の軍国主義じみた、超スパルタ受験校に通い、過酷な体罰教育を受けてきた。
 もちろん中高生としての楽しい思い出もたくさんあったのだが、反発が大きすぎて、卒業後はなるべく母校とは距離を置き、関わらずに過ごしてきた。
 そして90年代、卒業から十年ほど経った頃、我が母校が進学実績の伸びと共に、ごく常識的な範囲の「普通の校風」に脱皮していったことを、風の便りに知った。
 それ自体は「良いこと」で、後輩たちのことを考えれば、まことに好ましい変化だ。
 しかし、私がその時反射的抱いたのは、「悔しさ」に似た感情だった。
 カルトな校風に馴染めず、卒業せずに去っていった友人たちのことや、どうにかサバイバルした自分の感情が蘇ってきた。
 そして、母校の「最高傑作」の一人でありながら、後にカルト教団に走ってしまった面識のない先輩のこと。
 映画館でラストに近づく画面を観ながら、そんなことを思い返していた。

 そう言えば映画の中のすずさんも、戦争で大切なものをたくさん失いながらも、淡々とした日常に還っていったのだった。
 あの終盤の流れ、映画館の暗闇でひっそり涙しながら、見入ってしまった。

(「青春ハルマゲドン」の章、了)
posted by 九郎 at 23:59| Comment(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

青春ハルマゲドン8

 率直に言って、少年時代の私にはカルト、とくに終末カルトにハマる素養はあったと思う。
 今までハマらずに済んできた理由としては、「そのような縁が無かった」という偶然の要素が、たぶん一番大きい。
 90年代にテロ事件を起こしたかの教団の信者と私の間には、さほど大きな距離は無い。
 若者がカルト的な集団に最もハマりやすいタイミングとしては、親元から半ば自立しながら、いまだ社会的な経験に乏しい学生時代、それも新たな交友関係がまだ出来ていない入学直後あたりが、一つのピークではないだろうか。
 学生サークルの新歓時期には、宗教や自己啓発の団体が当り障りのないよう偽装したサークルの勧誘も、非常に活発になる。
 私が恵まれていたとすれば、大学入学以前にそうしたカルト的なモノに対する「嗅覚」、「免疫」が出来ていたということだと思う。

 小学生の頃、駄菓子屋や縁日の店先、学校の前に物を売りに来るおっさんを相手に、ちょっとインチキの入った商売で騙されたり見破ったりの、「小遣い争奪バトル」を繰り広げた日々。

「当てもん」の達人

 TVのオカルト番組をドキドキして視ながらも、あちこちおかしなところを「あら探し」していた日々。

 黒い本棚

 本章でも紹介してきた通り、カルト教団めいた超スパルタ受験校で、中高六年間を劣等生としてサバイバルし、批判精神が養われたこと。
 そして何より、70〜80年代サブカルチャーを存分に享受し、オカルトやフィクションに対する目利きがかなり鍛えられていたことが挙げられる。

 こうして書き出してみると、どれも褒められた要素ではない。
 つまるところ子供の頃の私は遊び呆けたクソガキで、中高生の頃もその延長で遊び続けていただけだったのだ。
 一般的な若者のレジャーはすっぽり抜け落ちていたが、その分、絵や文章、造形などの「創作」に充てる時間が大きかった。
 積極的に「勉強」はしなかったが、この「創作」が間接的に受験にも役立って、なんとか進路をでっち上げることができたのだろう。
 虚構と現実、オリジナルと引用、パクリ、フェイクの関係についても、自分なりにかなり認識を深めていたはずだ。
 かの教祖名義の本に目を通してみて、直観的に「フェイクだ」と判別できたのは幸運だった。
 教祖本人についても、80年代の「ムー」時代からメディア越しに眺めた限りでは、子供の頃バトルを繰り広げた「子供だまし」のおっさん達と、等質のものを嗅ぎ取っていた。
 直接対面してみればそれなりに「迫力」があり、ある種の「霊力」も持つ宗教者としての一面はあったのだろう。
 同時に、自分を何層倍にも見せるペテン師の能力も高かったのだろう。
 純粋に宗教者だけ、純粋にペテン師だけなら、自らも破滅させる無差別テロまでは突き進まなかったはずで、そこに教祖の謎と闇がある。

 教祖の「闇」については、以下の書籍をお勧めしたい。


●「黄泉の犬」藤原新也(文春文庫)
●「A3 (上)(下)」森達也(集英社文庫)

 90年代初頭には、新興宗教の教祖の内面を真正面から描いた、空前絶後の週刊連載マンガもあった。



●「祝福王」全四巻 たかもちげん(講談社文庫)
 そんじょそこらの「現実」には到達できない、「虚構の中の真実」がここにはある。
 教祖というものに興味を持つなら、せめてこの水準の物語に触れておくべきだ。
 優れた虚構で鍛えられた審美眼は、紛い物の現実を駆逐する。

 終末カルトに対する批評眼という意味では、当時の私が最も影響を受けていたのが、SF作家平井和正だった。
 この稀有な作家については、これまでにも繰り返し記事にしてきた。

 80年代「終末後」のサブカル

 数ある平井作品の中でも毀誉褒貶が激しいのが「幻魔大戦シリーズ」、とくに角川小説版だ。
 (現在この文庫本で全に十巻の「禁断の書」は、kindle合本で刊行されている)



 派手な超能力アクション小説が突然、カルト教団の動向を描く展開にシフトしたのだから、これは仕方がない。
 著者が一時期、あるカリスマに傾倒していたことは知られていたので、「宗教にかぶれた変節作家」というレッテルも貼られがちだった。
 しかし事実関係を確認すると、平井和正は「教団」に入信したことは一度もなく、九か月間ほど「あるカリスマ」と対話を続け、著書のゴーストライターをつとめた後、「決別」したということだ。
 80年代にハイペースで幻魔大戦シリーズを執筆していた時期は「決別後」にあたり、むしろカリスマ的指導者やカルト教団の危険性を、強く警告する内容になっている。
 当初は「現代に現れる真の救世主」を、まともに描くことを企図していたようだが、ベストセラー小説の中で「それ」をやってしまうことの危険に、途中で気付いてしまったのかもしれない。
 危機的な世相を背景に、大衆が強いカリスマ、強いヒーロー、救世主を求める心理自体が、独裁者や偽救世主を呼び寄せる。
 そうした「終末感」は、サブカルチャーによって強く増幅され、実際にハルマゲドンを誘発しかねない。
 平井和正は作家的な潜在意識を「言霊」と表現するが、少なくとも幻魔大戦の言霊は、物語を「救世主ストーリー」として描くことにブレーキをかけた。
 主要なシリーズ2本とも、物語の半ばで「救世主」と目された主人公が失踪し、そのまま戻ってこなかったのだ(!)

――救世主を求める者は滅ぶ

 そんな暗示を残して80年代の幻魔大戦は終結し、まるで作中のカルト教団が現実化したような事件の勃発する90年代へと、日本は突入していったのだった。

 90年代の平井和正

 80年代半ば以降、私は平井作品をほぼリアルタイムで追うようになったのだが、その頃はちょうど、平井和正の作風の移行期にあったと思う。


●85〜86年「黄金の少女」(全五巻)
●88〜92年「地球樹の女神」(全14巻)
●93〜95年「犬神明」(全十巻)

 これらの作品に共通しているのが、以下の暗示だった。
――ハルマゲドンはまず青年の内面に起こる
 青年の心の中で起こる「ハルマゲドン局地戦」を、「異界」と組み合わせて語るスタイルは、以後の平井作品でも繰り返され、深化していった。

 90年代初頭の私の学生時代は、ちょうど「地球樹の女神」が完結に向かう時期と重なった。
 何度か紹介した「お山」に登るようになったのは、この作品の影響だ。
 その経験からいくつかの絵と文章のインスピレーションを持ち帰り、卒業と前後するタイミングで、当時としては「完全燃焼」の作品に仕上げることができた。
 少年期の私の中にはカルト志向が存在したし、心の片隅ではハルマゲドンを待望する病んだ部分があった。

 幼い頃の傷や、カルト教団じみた環境にあった中高生の頃の感情を、一旦吐き出す。
 それも「破滅」や「死」で終わらない形できれいに完成させる。

 未熟な若書きがら、自ら課したそれだけのミッションを完遂することで、私は自分の「青春ハルマゲドン」を一旦終結させることができた。
 そのプロセスを終えた後に、震災とカルトの年である95年を迎えられたことは、非常に幸運だったと思う。
(次回、最終回)
posted by 九郎 at 01:00| Comment(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

青春ハルマゲドン7

 私の大学生時代は、90年代初頭とほぼ重なる。
 その頃まだインターネットは存在せず、ケータイも一般化していなかった。
 固定電話、フィルムカメラ、ビデオテープ、紙媒体中心のアナログ時代最終盤にあたり、ようやくレコードがCDに切り替わったくらいのタイミングだったので、学生の生活風景は80年代とさほど変わりなかっただろう。
 既にバブルは崩壊していたが、まだまだ日本経済には余裕があり、合コンやダンスパーティー、レジャーを謳歌する学生も多かった。
 私はと言えば、そうした種類の「遊び」とはあまり縁のない学生生活を送っていた。
 遊ぶにしてもそれなりの素養は必要で、中高生の頃からレジャーに親しんでいないと、スムーズに大学デビューとはいかないものだ。
 私のようにカルト受験校出身で、勉強以外ではサブカルや造形くらいしか知らない田舎モンは、合コンの何が楽しいのか全然わからなかったりして完全に出遅れる。
 受験校出身とは言え、あくまで私は「斜めにかわした」フェイクだったが、このあたりの感覚はあまり遊ばず真面目に勉強してきた地方出身学生とも共通していたと思う。
 勉強漬けからいきなり解放された学生は、「遊び」に馴染めず一人ぼそぼそ昼飯を食うとか、免疫が無くて逆に「遊び」に溺れ、勉強が手につかなくなるとか、そんなケースも多かったことだろう。
 一時的にそうなっても、最終的に娑婆に着地できるなら、特に問題はない。

 いわゆる「遊び」には馴染めなかった私だが、しっかり勉強していたのかと言えば、もちろんそうではなかった。
 別種の「遊び」、中高生の頃から引き続き、サブカル漬けであった。
 一回生の頃から文芸系サークルや演劇サークルに出入りし、同人誌を作ったり、8mm映像で遊んだり、舞台美術や宣伝美術にいそしんでいた。
 専門に上がってからは美術の実習が増え、そちらは大いに意欲を持てたので、授業はけっこう真面目に出ていた。
 単位数こそ必要最低限だったが、評価自体はけっこう良かったはずだ。
 当時私が出入りしていた学科、サークルともに、先輩や同級生が多士済々で、拙いながら「創作」の楽しみを存分に味わっていた。
 合コンは苦手だったが、創作系サークルの飲み会で「語る」のは大好きだった。
 周囲に恵まれ過ぎたといっても良いかもしれない。
 大いに刺激を受け、いっぱいモノを創り、貪るように本を読んだ。
 折しも、日本の出版文化がピークに向かう時期だった。
 毎日のように通う書店のお目当ての本棚には、宗教のコーナーも含まれていた。

 80年代後半から90年代初頭にかけては、いわゆる「新新宗教」に勢いがあった頃で、著名人の「霊言」で有名になった教団や、数年後にテロ事件を起こすことになる教団が、活発に本を出していた時期にあたる。
 両教団の出版物は、ともに一般書店の一画を占めるようになっていたが、学生当時の私はパラパラめくってみてすぐに「これはフェイクだ」と判別した。
 どちらも内容や世界観にオリジナリティが乏しく、80年代オカルトサブカルチャーを下敷きにしているのが明らかだった。

 80年代オカルトサブカルのネタ元

 とくに「霊言教団」の方は、私の目には「丸パクリ」のレベルに見え、論外だった。
 後のテロ教団の方も、教祖名義の本にいくつか「元ネタ」があるのは分かったし、そもそも私はかの教祖がまだ教祖になる前、80年代に雑誌「ムー」の読者投稿欄に登場した頃から誌上で見知っていた。
 宗教というより、オカルトサブカルチャー畑の人間だと認識していたのだが、いつの間にか教祖になり、記事ではなく教団の広告ページに登場するようになってしまい、その時点で興ざめしていた。
 何らかの修行体験はあったのだろうけれども、それをまとめた教義、書籍が「サブカルとして楽しめる」レベルに達していなかった。
 オカルト界隈では、よく「水準に達していないフィクションを実録と称して売る」ケースが見られるが、そんな中の一つに見えたのだ。
 そうしたケースは、書籍販売やタレント活動など「薄く広く」利益を集める範囲においてはさほど罪はなく、許容範囲かもしれない。
 しかし、かの教祖・教団の場合は、90年代には既に高額なセミナーを開催したり、財産をお布施した上での出家制度を作ったりという危険領域まで足を踏み入れていた。
 実はこの頃から殺人等の十代犯罪に手を染めていたことも後に明らかになるのだが、そうした実情に触れるまでもなく、私にとってはチラ見した本の内容だけで十分「アウト!」だった。

 今の時点で振り返ってみるなら、かの教祖・教団について「おそらくこうだったのではないか」と想像をめぐらすことも、いくらかはできる。
 とくに信者側については、同じ時代風景を見てきた「同世代」であったし、感性においてもかなり共通するものはあったと、あらためて認めざるを得ない。

 それは、幼少の頃から「人為的な終末」が現実的な可能性として存在した世代である。
 それは、サブカルチャーとしての「終末ブーム」を、存分に浴びて育った世代である。
 それは、訓練を積んでステージをクリアーすると、経験値が数値化される世界観に馴染んだ、コンピューターゲーム第一世代である。
 それは、厳しい受験競争を強いられながら、同時に消費行動を煽られ続けた世代である。

 幼少の頃から数年刻みで設定された「修行」のステージを、与えられるままに次々にクリアーしていけば、いつか「夢の未来」に辿り着けるはずだった。
 だからこそ、世に溢れる物質的な快楽に背を向けて、懸命に修行に励むことができた。
 破滅に瀕したこの世界に対して、ステージを上げた未来の自分には活躍の場が与えられ、何かが出来るはずだった。
 ところが、そうした修行のプロセスの完成間近になって、自分の進んできた道にふと疑問が兆したとしたら、どうか。
 現実世界はそんなにシンプルには出来ていないと気付いてしまったとしたら……

 ここで、直接面識は無いけれども私の高校の先輩にあたり、事件に関与してしまった人の軌跡に、簡単ではあるけれども触れておきたい。

 86年、受験エリートとして大学入学、同時期に後の教祖の著作を手に取り、感銘を受ける。
 同年、教団の前身であるヨガサークルに入会。
 サークルが教団化した後も在家のまま大学で学び、博士課程まで進んだ92年、教祖に促されて突然出家。
 以後、教団の犯罪行為に関与することになる。

 私の想像が、先輩のケースとどの程度適合しているかはわからないけれども、やはり「痛ましい」と感じてしまうのである。

【参考文献】

●「さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生」伊東乾(集英社文庫)


 教祖側については、想像できることはずっと少ない。
 世代が違うし、生い立ちの過酷さは想像を絶する。
 ただ、私は元弱視児童として、そして、しょせん「本物」には成れぬフェイクの自覚を持つものとして、かの教祖に幾ばくかの感情移入はある。

 青年期までの来歴だけを見るならば、生家の経済的困窮や身体的なハンデにも関わらず、懸命に生き抜いてきた人だとは思う。
 講道館の二段を取り、鍼灸の技量を身に付けていたことから、身体的な修行に関する素養を持っていたのは明らかだ。
 苦労の中で練り上げられた洞察力や対人スキルは、かなり高かったのだろう。
 年少者に対し「指導」できる人間的な厚みが、全く無かったとは言わない。
 地道に鍼灸院を続けていたなら、あるいはヨガサークルの指導者で満足していたなら、自分も家族も周囲も、全部幸せに出来ていたのではないかと思う、

 教祖名Aと、等身大である本名Mの間の乖離に、かの教団の「闇」が垣間見える。
 なぜ、そこまでして演じなければならなかったのか?
 破滅に瀕した物質文明の迷える若者たちに対し、「魂の進化」というステージアップゲーム、巧妙な疑似餌を投げ与えたのは、果たして偶然か、必然か。
 信者の数が増えるほどに、教祖側の演技過剰と、信者側の期待の圧力、そして忖度による教団組織の自走は加速していっただろう。
 そして教祖名Aを、どうにかこうにか演じていた本名Mの、精神的・肉体的負担が限界に達し、背負いきれなくなったとき……

 いま想像できるのは、ここまでだ。
(続く)
posted by 九郎 at 17:56| Comment(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

青春ハルマゲドン6

 学校や塾や参考書出版なども含め、広く「受験界」には、今でも結構カルト的、またオカルト的要素が見られる。
 私が中高生の時期を過ごした80年代は、学歴信仰がかなり強く残っており、受験生の数自体も多い「受験戦争」の時代だった。
 受験というものは、決まった年限がくれば必ず訪れ、その勝敗が必ず判明する。
 これは、受験生本人にとっては一種の「ハルマゲドン」で、受験勉強が過酷であればあるほど、その価値を過大に評価すればするほど、カルト、オカルトの蔓延る土壌はあったのだ。

 振り返ってみれば、当時の我が母校はまさにそうした「終末カルト」的な条件を備えていたと感じる。
 時代背景から来る学歴信仰、受験競争の激化に対応し、現生利益として「進学実績」を歌っていた。
 入学した生徒に対しては、その生活全てを「受験勉強」に傾注することを要求し、暴力によって強制した。
 難関大学入学というバラ色の未来に向かうため、あらゆる無理難題は正当化され、異論反論は一切許されなかった。
 全校集会の類では、常に「おまえたちは真のエリート校には入れなかった生徒である」「寸暇を惜しんで勉強する以外、難関大学入学の道はない」「いくら時代が変わろうと、本校の教育方針は未来永劫一切変わらない」等という訓戒が繰り返し刷り込まれた。
 生徒は真夏の炎天下であろうと、寒風吹きすさぶ真冬であろうと、直立不動でそれを拝聴しなければならなかった。
 私立だったので「嫌ならやめろ」「ついて来れないならやめろ」という理屈の下、入学時の人数の一割以上がまともに卒業できなかった。

 私たちが在学時や卒業後に「よく似ている」と感じた集団は、たとえばマンガ「魁!!男塾」であり、北朝鮮の軍隊であり、カルト教団の信者の生活であった。
 そしてマンガ「はだしのゲン」に描かれる戦時体制にもよく似ており、これは今となっては私の持ちネタでもあるのだが、わざわざ戦前の教科書を復刻して使っている教科すらあった。
 似ているものは全て、絵に描いたような「カルト集団」である。
 2010年代の今現在の価値観で見れば、「そんな酷い学校はさっさとやめるべきだ」とか「傷害で訴えるべきだ」と思う人は多いだろう。
 しかし、そうした集団の「内部」にあっては、常識的な判断が下せない心理状態に囲い込まれてしまうのだ。
 ごく普通の中高生にとって、学校生活というものは、自分の「全て」に等しい。
 ましてや我が母校のような極端なスパルタ受験校では、「学校をやめる」とか「留年する」という事態は、ほとんど「この世の終り」と等価に感じられるものだ。
 実際はそんなことはなく、思い切って学校を移ってうまく行った生徒は多かったし、長期的に見れば一年や二年の留年、浪人など、人生において何のマイナスにもならず、貴重な経験になることすらある。
 そうした多様な価値観をシャットアウトし、内部の価値基準を暴力的に強制するところがカルトのカルトたる所以だ。
 生徒は体罰の肉体的な恐怖と、ドロップアウトの心理的恐怖に、完全なコントロール下にあった。
 何かあっても「全部自分が悪い」と思わされていたのだ。

 もちろんそんな厳しい学校にも、普通に楽しい授業や行事、友人たちとの日常は、たくさんあった。
 私は学校内では劣等生の部類だったので「苦しさ」の面を強く感じたが、大量の宿題を疑問なくこなせるタイプの優等生諸君は、理不尽を感じることは少なかっただろう。
 むしろ、勉強に集中できる良好な環境だと思っていたかもしれない。

 私は違った。
 とくに高等部に入ってからは校風にあえて逆らうように「一人美術部」として活動し、勉強の方は留年しないぎりぎりのラインを攻めるようになった。
 私が在学していた頃はまだ「成績別クラス編成」が残っていて、もちろん私はずっと下位クラスで過ごした。
 下位クラスには学業こそ不振であるけれども、それぞれに個性的なメンバーが揃っていて、その様はマンガ「おれは鉄兵」の「東大寺学園戊組」を思わせた。
 中でも卓越したセンスを感じさせた友人たちは、その個性に促されるように、次々と学校を去っていった。
 私はと言えば、そうした「学校を横にはみ出した」友人たちほどのセンスも思い切りもなく、かと言って「学校の方針に真っ直ぐ従う」適性もなかった。
 直進できず、別の道を選ぶ器量もない私にできるのは、「斜めにかわす」ことだけだった。
 高二の冬ごろから教育学部系の美術志望に切り替えた顛末は、以前記事にしたことがある。

 デッサンと見取り稽古

 自分の数少ない手札から逆算し、針の穴を通すように「そこしかない」という進路を選んだことは、我ながら上出来だったと思う。
 子供時代から存分にサブカルを享受し、「はだしのゲン」や「おれは鉄兵」を愛読するしぶといクソガキであったことが、最後の最後で私を「受験ハルマゲドン」からサバイバルさせた。
 そしてそのまま持てる武器は全部抱えて、90年代の学生生活に突入していったのだ。

 一方で、私のような半端なフェイクではなく、我が母校で課される苛烈な「修行」を、真正面から突破した秀才も多数いた。
 80年代の大人は、濃淡の差はあれ、総じて以下のような要求をその子弟に強いていた。

「将来のため、中高生のうちは余計なことは考えず必死で勉強しろ! 無事大学に入ってから存分に遊べ!」

 考えてみれば我が母校は、非常に極端な形ではあるけれども、そうした80年代的な大人の要求を体現していたのかもしれない。
 そして後に報道で名の挙がることになった先輩は、そんな中でも修行を完璧にこなした、最高傑作の一人だったのではないだろうか。

 90年代半ばの事件報道に接し、私が感じた「痛ましさ」の一端は、理解してもらえるのではないかと思う。
(続く)
posted by 九郎 at 18:56| Comment(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする