2018年08月23日

新旧「星の王子さま」

 しばらく前、本当に遅ればせながら、サン・テグジュペリ「星の王子さま」を、人生初めて通読した。
 最初は一番スタンダードなものをと、図書館で岩波書店の従来のハードカバー版を借りて読んだ。

 星の王子さま

 やっぱりというか、本当に良い本だったので、手元に一冊置きたいと思い、同じ岩波書店から2000年に発行された「オリジナル版」を入手し、読み比べてみた。
 色々感じる所があったので、まとめてみたいと思う。

 以下、それぞれ「旧版」「オリジナル版」と表記する。
 訳:内藤濯(ないとう あろう)であることは共通。


●旧版
・1962年発行 1972年改版発行
・22cm×15cm
・縦書き右開き
・「訳者あとがき」有り


●オリジナル版
・2000年発行
・18cm×11cm
・横書き左開き
・フレデリック・ダゲーの「まえがき」有り
・挿絵が作者による「原画」により近い

 旧版と比較して、挿絵に限って言えば、原画の色の濃淡や、描線の細かなニュアンスは、確かにオリジナル版の方が再現されているようだ。
 しかし、単純にオリジナル版が旧版の上位互換かというと、そこは好みが分かれる所だと思う。
 まず、版型が旧版の方が2倍近く大きいので、絵も文もはるかに見やすい。
 そして印刷設定の違いからか、オリジナル版の挿絵は全体にやや黄色味が強く、私の好みでは旧版の色合いの方が落ち着いていて良いと思う。
 何点か、旧版でカラーだった挿絵がオリジナル版でモノクロになっているケースもある。
 何よりも、旧版は日本における不動のスタンダードとして、既に多くの愛読者を獲得しているという現状がある。

 新旧の最大の違いは、挿絵の異同というより、縦書き右開きから横書き左開きへ変わっていることではないかと感じる。
 日本語版の元になった仏語版や英語版はもちろん横書き左開きなので、オリジナル版はそれに即した本作りと言うことになる。
 同じ挿絵でも、右開きと左開きでは「読者の感じ方」に違いが生じる。
 縦書き右開きの本の中では、読者の視線が順に左側に移動していくことになるので、挿絵の中の時間経過も左側に進行する。
 横書き左開きでは本の中の時間経過が逆方向になる。
 挿絵の中の「星の王子さま」は左向きで描かれていることが多い。
 この絵を旧版の中で眺めると、読者の視線は絵の中の王子さまの顔の向きとシンクロするので、感情移入の対象は王子さまになりやすい。
 同じ絵をオリジナル版(仏語版、英語版と同じ向き)で眺めると、挿絵の中の王子さまの視線は、読者の視線と相対することになる。
 すると読者は、「向こうの世界からやってきた王子さま」と、向かいあって対話しながら読み進める感覚になり易い。

 この縦横右左の違いの方が、挿絵の精度より、よほど読者の印象に影響するのではないかと思う。

 作者の意図に、より忠実なのはオリジナル版。
 旧版の方も、年少者も含めた日本人が読み易い一冊の本として、大変よくできている。

 これから「星の王子さま」を読もうとするなら、以上のようなことを考慮して選ぶのが良いと思う。


●「星の王子さま―オリジナル版」
●「愛蔵版 星の王子さま」
●「星の王子さま」(岩波少年文庫)
posted by 九郎 at 15:45| Comment(0) | 児童文学 | 更新情報をチェックする

2018年08月20日

妖怪プラモ「河童のガジロウ」

 もう三年前のことになりますが、妖怪造形コンテストというものに応募したことがありました。

 山姫の歌声

 このコンテストは民俗学者・柳田國男の故郷、兵庫県神崎郡福崎町が主催しているもので、今年が最終回になるそうです。
 締め切りは十月末、せっかくだし、また何か作れたらいいなと思っていた時、近所のお店で当の福崎町発売の河童のプラモを見つけました。
 そんなに高くないし、ちょうど手ならしにいいかと思い、この夏、時間を見つけてはちょこちょこ作っていました。


●福崎町観光協会 福崎町妖怪プラモデルNo.1 河童のガジロウ

 組み立て前はこんな感じ。

gaji000.jpg

 茶色一色の成型色で、かなり細かく形状は再現してあることが、ランナー状態からもう分かります。
 ただ、切り離して仮合わせしてみると、パーツの合いは今一つで、調整が必要。
 あと、離型剤が少し残っている感じがしたので、接着と塗装の下準備に、台所洗剤と古歯ブラシで洗浄はしておいた方が良さそう。
 今風の組み立て楽ちん、塗装いらずのストレスフリーなプラモではありませんが、一昔前の「すごく出来のいいガレージキット」という印象です。
 ガンプラ世代には昔馴染みのプラモ作りのセオリーに沿って、制作を進めます。
 パーティングライン消し、擦り合わせ、溶着、パテで盛り削り、サーフェイサー吹き……
 手足の各関節の接着角度は自分で探らなくてはならないので、慌てず乾燥時間を挟みながらの制作になります。
 暇を見つけて小一時間ずつじっくり作る、そんな昔ながらのプラモ作りが楽しめます。

 塗装は例によってつや消しブラックからのアクリルガッシュ筆塗り。
 ガッシュはザラッとしたつや消し仕上げになりますが、今回はモデルが「河童」。
 表面に両生類的な「ぬめり」が欲しかったので、最後に光沢のトップコートを吹いてみました。

gaji001.jpg

 今回は箱の完成品写真を参考に、私好みにやや色味とコントラストを強めに塗っています。
 架空の臓器「尻子玉」の色は、悩んだ末ゴールドに。
 この色だとなんか別のタマにも見えてしまいますが……

 モールドが細かくしっかりしているので、塗装が本当に楽しいです。
 技量不足のラフな塗りを、キットが助けてくれる感じ。
 特に甲羅が楽しかった!

gaji002.jpg

 完成品は手のひらサイズ。
 最近のプラモとしてはお値段安目で、コスパの高い良キットでした。

 このシリーズ、他に天狗も発売されているようです。


●福崎町観光協会 福崎町妖怪プラモデルNo.2 天狗



 妖怪プラモ、けっこう気に入った!
 そう言えば、昔買ってまだ組んでなかった妖怪プラモ(というか鬼太郎プラモ)が、どっかにあったはず……


 ゴソゴソ。

 
 コンテストも何かネタは……

posted by 九郎 at 18:51| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2018年08月19日

星の王子さま

 子供の頃から「本好き」を自認してきて、実際分量としてはかなり読んでいる方だと思う。
 しかし「一人の作者や一つのテーマにハマる」傾向はずっとあって、読書は「狭く、深く」偏りがちだ。
 分量・冊数読んでいる割には、意外に有名どころがぽっかり抜け落ちていたりもする。
 恥ずかしながら、今回取り上げる「星の王子さま」も、そんな中の一冊だ。
 ずっと興味はあり、何度か手に取って最初の数ページ(あのウワバミのくだり)だけは面白く読んでいたのだが、なぜかその後が続かなかった。
 心のタイミングがうまく合わず、「縁」がなかったということだろう。
 それでもいつか読もうと思いながら、未読のままに、すっかりおっさんになってしまっていた。

 この度、改めて読む気になったのは、しばらく前の、某プラントハンター氏の「暴挙」がきっかけだった。
 あまり愉快でない話題について詳述する意欲は湧かないので、心覚えにキーワードのみ記しておく。

「プラントハンター 西畠清順 星の王子さま 改変 バオバブ」

 改変騒動に関する記事を眺めながら、何となく「今なら読めそうだ」と感じて図書館に直行。
 最もオーソドックスな岩波ハードカバー版を借りてきて、一気読みした。

 結論から言うと、生きてる間に読めて本当に良かった!
 そういう意味では某氏に反面の感謝である。

 様々なバージョンが出版されているが、原著者の挿絵はやはり必要不可欠だと感じる。
 今、岩波の内藤濯(ないとう あろう)訳を求めるなら、以下の中から選ぶことになりそうだ。


●「星の王子さま―オリジナル版」
●「愛蔵版 星の王子さま」
●「星の王子さま」(岩波少年文庫)

 カテゴリとしてはもちろん「児童文学」になるけれども、全てのすぐれた作品がそうであるように、「大人にこそ読まれるべき」「今、この私のために書かれた」と感じられる作品だった。
 私なりの分類で言えば、これは「心の中の友だち」の物語だった。

 心の中の友だち、心の中の恋人

 そして、基本的には「友だち」の構図を持ちながら、大人が読む場合はさらに重層的な受け止め方になってくるはずだ。

 少年時代の自分
 少年時代の友だち
 今交流のある少年たち、あるいは自分の子どもたち

 様々な位相の「子ども」との対話が、読み進めながら、心の中で繰り広げられるはずだ。

 人生の中で、繰り返し、何度も、味わうための一冊。 
 私の「縁」は遅くなってしまったけれども、別に早い遅いは関係ない。
 今借りている本は図書館に返却するとして、やはり手元に一冊、作者挿絵の入った本が欲しいのである。
posted by 九郎 at 00:35| Comment(0) | 児童文学 | 更新情報をチェックする

2018年08月17日

絵本「夏のトンネル」

昨年投稿していた連作イラストに、ふと着想が訪れたので詞書をつけてみます。
(タイトルは「夏のトンネル」、画像をクリックすると拡大表示されます)

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お兄ちゃんと妹が
チョウを追いかけ森の中
森は緑のトンネルで
迷い込んだらどこまでも

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トンネル進むと虫の世界
お祭さわぎか合戦か
二手に分かれてエンヤラヤ
いつまでたっても終わりません

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さらに進むと蓮の池
カエルの説法オタマジャクシ
二人は夢中で水遊び
虫とりあみと虫かごは
おきっぱなしで忘れられ

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カラカラ回る風車
おじぞうさまのまわりでは
草のお面の虫たちが
ぐるり輪になり盆踊り

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ワッショイワッショイお神輿の
踊りの列を追ううちに
二人は夏のトンネルを
抜けて夕日のヒガンバナ
いつのまにやらヒガンバナ

(「夏のトンネル」了)
posted by 九郎 at 00:15| Comment(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2018年08月15日

再掲:旧日本軍の大半は飢えと病で死んだ

 終戦の日という表現にはずっと違和感を持っている。
 本日は「敗戦の日」だ。

 70年以上前、政治力・外交交渉の敗北から日本が開戦に追い込まれ、多くの国民を失い、国土を灰塵に帰した後、敗戦が確定した日だ。
 戦争の真実は勇ましげな戦記だけでは理解できない。
 旧日本軍の大半は、ろくな補給もなされないままに、何の実効性もない精神論で追いたてられ、戦闘行為以前に飢えと病に倒れ、命を落としていった。
 そうした悲惨な現実は、実際に南方戦線に兵士として出征し、片腕を失って帰ってきた水木しげるの作品の中に、多数描き残されている。


●「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)


●「水木しげるのラバウル戦記」(ちくま文庫)


●「ねぼけ人生」(ちくま文庫)
 水木しげるは多くの自伝的な作品を描いているが、中でも定番ともいうべき一冊がこの「ねぼけ人生」だ。
 故郷である境港、その習俗のエキスパートである「のんのんばあ」に子守をしてもらった幼児期から、水木しげるの「妖怪人生」は始まっている。
 太平洋戦争に向けて徐々に窮迫する世相、南方戦線への出征、片腕を失った顛末など、昭和史の貴重な証言になっており、まさに今、読むべき内容と言える。
 特筆すべきは、ラバウルの戦場での現地の人々との交流の記録だ。
 ろくな補給もなく、玉砕前提の戦場で兵士の大半が餓死、病死していく中、水木しげる本人は現地人の間で「大地母神」のように慕われるおばあさんに気に入られ、辛うじて命をつなぐ。
 地獄の戦場のすぐ隣には、天国のような自然と共に生きる「土の人」の世界があったのだ。
 戦争が終り、すっかり気に入られた水木は村人たちに引き留められるのだが、上官に説得され、再び返ってくることを約束して日本に帰国し、やがてマンガの世界に飛び込むことになる……
 本書「ねぼけ人生」は人気の高いマンガ作品ではないけれども、水木しげるの作品世界に含まれる要素が全て詰まった、代表作と言える一冊である。



 先に紹介した中沢啓治「はだしのゲン」とともに、これらは今後もずっと長く読み継がれるべき作品だと思う。
 
 戦後七十年を越えてなお、我が祖国ニッポンは相も変わらず政治は無策、外交交渉は貧弱、国民に補給は与えず無意味な精神論ばかり押し付ける国であり続けている。
 このような状態で戦争をやれば、次も必ず負ける。
 国民目線から見れば、負ける戦争は決してやってはいけないのだが、積もり積もった失政のつけを戦争でチャラにしようと目論む奴等は、着々と準備を進めているのである。
posted by 九郎 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする