2019年04月20日

カテゴリ「青春ハルマゲドン」開幕の辞

 私は70年代初頭に生を受け、80年代に少年期を過ごした。
 そして続く青年期、時は二十世紀末の90年代、まさに「世も末」を思わせる世相や天変地異の中、関西サブカル界隈の片隅に生息していた私も、まともにその荒波にもまれることになった。
 とても消化しきれぬあれこれを抱えたまま、年を重ねた2010年代。
 再び来訪する天変地異やカルト事象に、かつて棚上げにしてきた「心の宿題」が、雪崩を打ってのしかかる。
 おりしも私は不惑を越えて、身体のトラブル散発し、果ては生涯初の開腹手術まで受ける羽目に!
 所謂「中年の危機」の、非常に分かりやすいサンプル状態になり果てた(笑)
 かくなる上は覚悟を決めて、心に抱えた「90年代のおとしまえ」と真正面から切り結び、死中に活を求めんと、ひたすら書き続けたのが2017年。
 カテゴリ「90年代」と関連記事を、内容と時系列で整理してみると以下のようになる。

●93〜94年、小劇場の舞台美術を担当していた頃
 祭をさがして-1
 祭をさがして-2
●同時期の94年、古い友人に誘われ、不思議な祭に参加
 月物語
●そして95年、阪神淡路大震災被災
 震災記GUREN-1
 震災記GUREN-2
 震災記GUREN-3
●震災と、それに続くカルト教団のテロ事件に衝撃を受けた顛末
 祭の影-1
 祭の影-2
●生来の孤独癖をこじらせ、一人に戻った顛末
 本をさがして-1
 本をさがして-2
 本をさがして-3
 本をさがして-4
 へんろみち-1
 へんろみち-2
 へんろみち-3
 へんろみち-4

【関連記事】
 最初の修行1
 最初の修行2
 最初の修行3
 最初の修行4

 めぐる輪廻のモノローグ1
 めぐる輪廻のモノローグ2
 めぐる輪廻のモノローグ3
 めぐる輪廻のモノローグ4

 ヤマトと仲なおり
 ヤンキーサブカルチャー

 終末サブカルチャー
 「終末後」のサブカル
 世紀末サブカルチャー
 黒い本棚(70〜80年代オカルトサブカルチャー)

 へんろみち 90年代熊野-1
 へんろみち 90年代熊野-2

●カテゴリ「90年代」最終章へ
 青春ハルマゲドン-1
 青春ハルマゲドン-2

 関連記事も含めると、書きも書いたり一年におそらく400字詰め換算で1000枚以上。
 久々に「完全燃焼」を味わいつ、最後の最後に引きずり出したのが「青春ハルマゲドン」というおバカな言霊。
 そう、私の90年代は、私自身の心の中に起こった一種の「ハルマゲドン」だったのだと総括し、ひとまず自己治癒は成ったのであった。

 しかしながら、あくまで自分の気の病をなんとかすべく書き散らした代物ゆえ、あまり他人様が読めるよう整理された順序にはなっていない自覚はあった。
 2010年代ももうおしまいの今年、なんとか読み易い形に集成し直したいと考え、この度新カテゴリをスタートさせたいと思う。
 膨大な分量の関連記事を順序立てて抜粋、または加筆し、できることなら9月の文学フリマ大阪に、一冊の本の形で出品できればと目論んでいる!

 70〜90年代サブカル最終戦争
「青春ハルマゲドン」開幕!
posted by 九郎 at 00:14| Comment(0) | 青春ハルマゲドン | 更新情報をチェックする

2019年04月17日

第七回文学フリマ大阪 (2019/9/8)

 今年9月開催の「第七回文学フリマ大阪」に出店が決まりましたので、ご報告。
 前回参加はもう四年前になりますね。

 文学フリマ大阪2015

 その時は知り合いの出店に個人誌で便乗させてもらう形でした。
 今回はフルスペックのわが「縁日屋」で出陣します。
 そしてそろそろ、新作個人誌の制作も開始します。
 乞うご期待!
posted by 九郎 at 23:29| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年04月13日

ヤマザクラ2019

 先週末、恒例のヤマザクラ花見に行ってきた。
 昨年のスケッチでは、かなり色使いについて収穫があった。

 お花見2018
 お花見2018その2

 今年はどんな発見ができるだろうか。

sakura2019-01.jpg


 近辺で一番好きな樹で昼食と花見。

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 人通りも少ない中、贅沢なひととき。

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 桜だけではなく、早春の山では様々な花見が楽しめる。

sakura2019-06.jpg


 お気に入りのヤマザクラは、毎年モクレンと同時の開花が楽しめていたのだが、去年の台風からか、モクレンの方は倒れてしまっていた。
 コラボは今年で最後かもしれない。

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 もちろんスケッチも。
 桜の季節の色合いは、明度を上げて、彩度はやや抑えて。
 緑が鮮やかになるのは桜の直後、葉桜から新緑にかけてなので、緑系は抑えめに。
 白い紙に水彩ならピンクはやや強め、影のパープルを少し効かせて。

sakura2019-03.jpg


 描いていて一つ気付いた。
 上記のような桜の季節の色彩は、そのまま桜餅の色合いだ!
 餅の中の餡の色は、桜の幹の暗色に似てる(笑)

sakura2019-08.jpg


 色々感じ取りながら、今年のヤマザクラのスケッチ完成。
 ピンクはスキャンや印刷で出にくく、意外と写真で撮った方が良いこともある。

sakura2019-02.jpg


 今年も良い花見、良いスケッチが出来たと思う。
posted by 九郎 at 18:47| Comment(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2019年03月31日

怪異とロスジェネ

 先ごろ、このカテゴリでも紹介してきた実話怪談の書き手・川奈まり子さんが、Twitterで呟いておられたことが気になった。
 怪異体験の聴き取り対象の年齢層が、「ロスジェネ」と呼ばれている層とかなり重なっているのではないかという主旨の呟きである。
 ロスジェネとは、いわゆるバブル世代の直後、就職氷河期を経験した、年齢で言うと三十代後半から四十代後半にかけての年齢層を指す。
 別の分類では「団塊ジュニア」とも重なっており、同年代の人口が多いので受験や就職で過酷な競争にさらされたにも関わらず、政策的には放置されてきた世代でもある。
 実は私も、この世代に引っかかっている(苦笑)
 現在の少子化の流れは、この世代が家庭を持ち、子育てに入ることが困難だったために事態が悪化したともいえる。
 民主党政権で実施された「子ども手当」は、極めて不十分ながらも、団塊ジュニアに現ナマが撒かれた希少な政策であった。
 年代別の人口を考えると、このタイミングが少子化に抗するラストチャンスであったかもしれないのだが、政権交代によりあっさり撤回され、少子化対策は既に手遅れになった。
 本来もっともっと手厚く支援されるべきであった団塊ジュニアにろくな補給を与えず、無意味な精神論で玉砕を強いてロスジェネ化させたこの国は、旧日本軍の愚策「インパール作戦」から何一つ変わっていないようだ。

 日常生活や体調の不安定、強いストレスは、おそらく怪異と親和性が高い。
 これまでの成育歴をふり返ると、私自身ははっきりと「怪異」の領域まで入ってしまうことは少なかったのだが、それに近い「夢がやや現実に浸入してくる」体験はあった。
 いわゆる「金縛り」や「幽体離脱」などである。

 金縛りと幽体離脱

 幼児期、思春期、社会に出る前後、あとは「中年の危機」の年代に、それは出やすかったと記憶している。

 ロスジェネが今現在、怪異の体験を語るケースが多いというのは、「さもありなん」と感じた。
 四十路を越えると、それまでの自分をあれこれ振り返ることも多いだろう。
 今現在だけでなく「過去がぶり返して現在の体験化する」というのもありそうだ。
 怪異の効用というか、怪異を心と体の治癒過程に軟着陸させるノウハウというものもあるはずで、昔はそれを宗教や民俗が担っていたのだろう。
 先に挙げたような怪異に会いやすいそれぞれの年代で、節目として民俗行事は用意されている。
 怪異現象には一応「科学的説明」がつくものも多く、私がよく体験してきた金縛りや幽体離脱はその典型。
 しかしながら「科学的な説明」の欠点は、実際体験している最中の恐怖感に対し、屁のツッパリにもならないところだ(笑)
 不動真言なんかの方が「現場」では有効だったりすることを、私自身これまで度々実感してきた。

 経済的にも人との縁からも疎外されがちだったロスジェネは、伝統的な宗教や民俗からも切り離された年代。
 心身の不安定から怪異に遭遇してしまった際のセーフティーネットが何もない、いわば「怪異難民」になってしまっているのかもしれない。
 そしてそこに口を開けて待っているのがスピリチュアル系カルトだったりする。
 そう言えばロスジェネは子供時代から青年期にかけて、メディアがオカルトだらけだった世代でもあり、オウム世代とも一部重なっている。

 このカテゴリ「怪異」で考えるべきことが、少しずつ焦点を結んできたようだ。
posted by 九郎 at 22:58| Comment(0) | 怪異 | 更新情報をチェックする

2019年03月22日

試作スケッチ「おにのうで」

 先月の「動物のからだ展」で出会った「ライオン前肢乾燥標本」、当面の目標としていた鉛筆スケッチが完成したので、本格的に作品化して行くために仕切り直し。

 会場でこの標本に一目惚れしたのは、お寺に奉納されていれば「鬼の腕」と称されそうな、夢枕獏「キマイラ」に出てくる幻獣の腕のような、禍々しくも威厳ある佇まいからだった。
――これをモデルに「鬼の腕」または「キマイラの腕」が描きたい!
 そんな着想を得たので、ぼちぼち進めていく。

 直接のイメージはライオン前肢と夢枕獏「キマイラ」からなので、まずはイメージをかきたてるため、夢枕獏「キマイラ梵天変」より、該当箇所を写経。

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 作中の描写は重視するが、厳密に「文章通り」は不可能。
 読んでいて「絵の浮かぶ文章」というのはあって、夢枕獏の文章はその典型なのだが、イコール「そのまま絵に描ける」では無いことが多い。
 一旦分解して再構築する必要がある。

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 本描きはM40キャンバスにアクリルを想定していて、その前段階の試作に木炭とMBM紙を使用、後程コンテパステルで軽く着色まで視野にいれて進める。

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 先月の「動物のからだ展」会場で最初に描いた一枚と同様、結果は問わずに勢い重視で、一旦思い付きを出し尽くしてみる。

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 鉛筆と木炭は「黒で明暗をつける」という点では同じだが、感覚は全く別。
 鉛筆は「硬い素材を刃物で刻む」感覚、木炭は「柔らかい素材を盛り削りする」感覚だ。
 中高生ではじめて鉛筆から木炭に持ち変えた時、早めに意識を切り替えられると、対応しやすくなる。
 木炭は「パンで消す」イメージがあると思うが、少々油分が付くので、私は普通の消しゴムメインで、練りゴム併用が好みで、「消す」というより「白で描く」感じ。
 先の彫塑の「盛り削り」の例でたとえるなら、消しゴムの白が「盛り」で、木炭の黒が「削り」に相当する。

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 話しのついでに感覚が似ている手法を簡単にまとめてみると、以下のようになる。
【制作中に推敲しやすい】木炭、油彩、塑像
【あまり推敲しない】鉛筆、水彩、彫刻

 全体から細部へと、徐々にスピードダウンしていき、木炭を紙の表面に馴染ませていく。
 時間的に一回では仕上がらないので、間をあける。

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 直接木炭にさわれない日は、出来ることで自主練。
 イメージの補助に、妖怪ミイラの類いの画像をザッとクロッキー。

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 これも余談になるけれども、各地に残っている妖怪ミイラの類には、それを制作する専門業者のようなものがあったらしく、材料調達を考えるとかなり不気味な雰囲気も漂ってくる。
 妖怪コトリとも関連してくるかもしれない。
 模写だけとはいえ美術解剖学をかじって見ると、生物標本としての価値はほとんど感じられない。
 ただ、これを作る専門業者がいたらしいことの不気味、業の深さは、一度手を通して体感しておく。

 制作再開にあたっては、ざっとはたいて一度木炭を落とす。
 ここまでやったことの痕跡は、はたいても残っているので、無駄にはならない。
 違和感を残したまま進めず、何度もやり直せるのが木炭。
 プロポーションの決定までは試行錯誤を繰り返す。

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 制作中は日々の生活の中でも注意すべきことが出てくる。
 洗い物、入浴後の指先ケアは必須になる。
 私にとっての木炭は「主に素手で描き、木炭も使う」という感覚なので、指先ガサガサでは思うように描けないのだ。
 鉛筆画の場合は「ほとんど鉛筆、あとは補助」という感じなので、さほど指先ケアに気を使う必要はない。

 モノクロは前回の鉛筆で堪能したので、今回はコンテパステルで少し色も試してみる。
 着色前に一度軽めにフィキサチフスプレーで木炭を定着。
 木炭の段階で骨格は既に固まっているので、色はアドリブを楽しみながら、じっくり進めていくのが良い。

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 適当に休憩や軽めの定着をはさみながら、じわじわと。

 うむ!
 この絵はここで筆置き!

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posted by 九郎 at 21:21| Comment(0) | 妄想絵画論 | 更新情報をチェックする