2019年08月23日

川奈まり子「少女奇譚」

 昨年末より、折にふれ実話奇譚の書き手、川奈まり子さんの著書を読み継いでいる。
 先月末、新刊が二冊刊行された。
 それぞれ少年少女がテーマの「怖い話」である。


●「少女奇譚」「少年奇譚」川奈まり子(晶文社)

 人生半ばを過ぎると、夏は追憶。
 何かと移動の多い季節の読書にぴったりだと感じ、さっそく購入。
 さてどちらから読もうかと、著者・川奈まり子さんのTwitterアカウントをのぞいて見ると、以下のようなtweetが目にとまった。

「ナメクジの王様を描いてみたけど下手なので上手な絵師様に描いてほしい。『少女奇譚』のナメクジの王様って可愛いすぎる話だと思うんですよ。シャーリーテンプルのスカートはいた双子ちゃんと巨大ナメクジの邂逅。」

 呟きには可愛らしいイラストが添えられており、エピソードへの興味がかき立てられた。
 一応絵描きのハシクレなのでこの「ナメクジの王様」が非常に気になり、「少女奇譚」の方から開いてみることにした。
 ゆっくり味読し先ごろ読了したので、いくつかのエピソードを紹介してみよう。

■「ナメクジの王様」
 怖いというより、何か絵本の世界のお話のようだった。
 双子の幼女たちがひらひらした可愛い服を着て、二人ではしゃいで近所の木立を駆け回っているだけでも十分絵本っぽいのだが、そこに妖怪じみた謎の生物まで登場するとなると……

 そう言えば以前、梅雨時のコンクリート壁にナメクジが大量発生しているのを目撃したことがある。
 雨模様の薄暗い歩道脇のコンクリート擁壁に、びっしり張り付いたナメクジの大群には、生理的なショックがあった。
 もしそこに、ナメクジに似た質感の「何か大きな這う生き物」が居合わせたら、それは「ナメクジの王様」に見えたかもしれない。
 ふとそんなことを思い出しながら、スケッチを一枚描いてみた。

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■「階段の花子さん」
 いわゆる「学校の怪談」の無い学校にはいじめがあって風紀が悪く、ある学校にはいじめがなかったと言う記述に、ふと視線が止まる。
 一般化は出来ないだろうけれども、そうした傾向はやっぱりあるのではないかと感じる。
 この日常世界とは違う「異界」の効用、「怖い話」があることでそこにまとめて回収される暗い感情、情念。

 学校にありがちな「不可解で不気味なスペース」についても、少し思うところはある。
 設計がうまくいってなくて、予期せぬ「意味ありげなスペース」ができてしまうことは、実はよくある。
 はっきり「設計ミス」というほどでなくとも、うまく空気が流れなくて湿気がこもり、異様な雰囲気のする特定の場所ができたりすることは、ままあるのだ。
 古い建物に後からエアコンを後から導入したり、耐震補強することで、かえって「へんなこと」になるケースも、これまたよくある。
 そうした「隙間」に、行き場のない児童生徒たちの情念は滞留し、それをエネルギーとした怪異が呼び込まれる――
 そんな可能性は、十分考えられるのではないか。

■「十字路より」「憑依体質」
 思春期の少女に目覚める「霊能」に関するエピソード。
 身近な友人や地域の「霊能者」のサポートで、予期せぬ能力に目覚めた少女は家族関係や学校生活を大きく破綻させることなく、日常に不時着する。
 弓道部で少女たちが繰り返し弓を引くうち、憑霊現象が起きる描写に、「これは」と思い当たる読者も多いはずだ。

 共同体の中で果たされる「魔女」の役割。
 ある種の少年少女には、魔女やスナフキンの存在が必要なのだ。

 思い返してみれば「アナと雪の女王」は、強力な魔女の資質を持った少女の身近に「先達」となる魔女が存在せず、国ごと滅びかけた世界観であろうか。

【当ブログ「アナと雪の女王」レビュー】
 ダブルミーニングの魔力1
 ダブルミーニングの魔力2
 劇中歌としての「Let it go」は「人間やめます」ソング?


 及ばずながら私も、町外れに住むちょっと頭のおかしい絵描きとして、主流からこぼれ落ちてくる少年少女に幾ばくかの安心を与えられる存在でありたいと思うのだ。


■「教える生首」
 冒頭「皆さんは何歳からの記憶をお持ちだろうか」という問いかけと例示、解説。
 個人差はあるものの「いつ、どこで、何をした」とつなげられるのは三歳以降が多く、それ以前の記憶も消えたわけではなく、「思い出せない」だけ、とのこと。

 私の最初の記憶は、たぶん「ベビーベッドに座り、柵に付属しているプラ製のオモチャを熱心に回している風景」である。
 まさか私自身が赤ちゃんの時ではないだろうから、二つ下の弟がベビーベッドを使用していた時の記憶ではないかと思われる。
 それならば二歳半〜三歳くらいで辻褄は合う。

 作中の「生首」ほど特異なイメージでなくとも、乳幼児たちが「何者か」と独自にコミュニケーションしているケースは多いのではないか。
 私も母親に「赤ちゃんの頃、一人でよく何か言っていた」と聞かされたし、何もない空間を見つめたり、ムニャムニャ一人でしゃべったりする乳幼児はよくいる。
 もしかしたら私もあなたも、今は忘れているだけの、「幼い頃の密かな友だち」がいるのではないか?
 そんな不思議な感覚を抱くエピソードだった。

■「前夜に視たこと」「夢枕に立つ」
 読みながら、90年代にお世話になり、数年前に亡くなった師匠のことを思い出す。
 今でもごくたまに夢枕に立ち、折々的確な示唆を与えてくれている師匠……

 本当のおわかれ

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 夢が介在すると、現実と怪異はスムーズに地続きになり、境界線は朧になってくるのである。

■「呪殺ダイアリー」
 以前ネットで読んで恐ろしさのあまり身震いしたエピソード。
 かなり陰惨で、ちょっと誰にでもお勧めというわけにはいかない感じがするが、強く印象に残ることは間違いない。
 作中でも紹介されている通り、「生と死」「聖と魔」は表裏一体なところがある。
 以前調べた明治期の女性教祖の家系でも、「呪力」の双貌を思わせる怪異譚がたくさんあった。
 大本(教)開祖・出口なおの全生涯を描いた実録小説「大地の母」(出口和明)については、以前ブログで記事にしたことがある。

 ある夏の記憶:出口和明「大地の母」のこと

 魔女と神女は別のものではなく、同じ力の「右手と左手」なのだ。

■「二人のハルキ」
 もう一人のハルキのフェードアウトに涙する。
 幼い日の美しい夢、半ば物質化する「霊」の優しさ。
 ゆっくり時間をかけた、家族ぐるみの悲嘆の受容。

■「蛇を殺すな。触るな。目も合わせるな。」
 民俗信仰、神隠しなど古の世界が「現代」と混交する最終エピソード。
 宇迦之御魂神と蛇神、女神の親和性を思いつつ、余韻に浸りながら、充実した読書体験を閉じる。

 蛇と狐と女神

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補足として、関連すると思われる図像をご紹介。
蛇神の姿の宇迦之御魂を頭上に頂いた「荼吉尼天曼荼羅」の中尊、そして「夜叉神」あるいは「三天神」「玉女」と呼ばれるもの。

 笑う三面神

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 今回の川奈作品も、他者の怪異譚を読みながらも、自身の記憶が様々によみがえってくる一冊だった。
 夏休みはそろそろ終わろうとしているが、この切なさの中でもう一冊の「少年奇譚」を開いてみようと思う。
posted by 九郎 at 21:35| Comment(0) | 怪異 | 更新情報をチェックする

2019年07月21日

【加筆再投稿】70年代サブカル:メディアミックスとマンガ〜抜け忍モノ

【メディアミックスとマンガ】
 日本の子供向けTV番組は、長らく雑誌連載マンガと濃密な関連を持ってきた。
 1953年に日本でTV放送が始まったごく初期段階から、メディアミックス的な作品展開はあった。
 多人数を対象に無料で視聴できるTVでの露出は、ながらくメディアミックスの中心を占めてきたのだ。
 そもそも日本初の30分枠TVアニメ「鉄腕アトム」は、監督である手塚治虫自身が雑誌連載していた同名作品をアニメ化したものだった。
 その成功を受けて制作された初期TVアニメの多くは、原作マンガの人気が先行する「アニメ化作品」であった。
 60年代の「人気マンガを原作とする初期のモノクロTVアニメ」には、例えば以下のようなものがある。

●鉄腕アトム(手塚治虫)
 63年1月〜66年12月、全193話。
●鉄人28号(横山光輝)
 63年10月〜66年5月、全97話。
●エイトマン(平井和正/桑田次郎)
 63年11月〜 64年12月、全56話。
●オバケのQ太郎(藤子不二雄)
 65年8月〜67年6月、全96話。
●おそ松くん(赤塚不二夫)
 66年2月〜67年3月、全56話。
●ハリスの旋風(ちばてつや)
 66年5月〜67年8月、全70話。
●サイボーグ009(石森章太郎)(劇場版1966年)
 68年4月〜9月、 全26話。
●ゲゲゲの鬼太郎(水木しげる)
 68年1月〜69年3月、全65話。

 雑誌掲載マンガの人気作品がTVアニメ化され、メディアミックスで更に人気が沸騰するという形は、少年マンガのヒットパターンの王道として今に続いている。

 人気マンガのアニメ化が相次いだ60年代だが、もちろんマンガを原作としないTV独自の子供番組も多く制作されていた。
 ここで「コミカライズ」という言葉が登場する。
 メディアミックスの在り方の一形態で、他のジャンルの作品をマンガに変換(コミック化)することを指す。
 例えば現在でも人気の「月光仮面」は、川内康範の原作で1958年にTVドラマとしてスタートし、並行して貸本や雑誌連載のマンガ版も制作されており、雑誌連載版は開始当初、後に「8マン」で人気を博す桑田次郎が作画を担当していた。
 映像コンテンツの録画や配信が広く一般化した現代と違い、80年代初頭までTVコンテンツは基本的に「放映されたらそれでおしまい」だった。
 手に取ってストーリーをなぞれ、ビジュアルを紙で手にできるコミカライズ作品の果たす役割は大きかったのだ。
 コミカライズの場合、マンガはあくまで派生作品であり、制作する側も鑑賞する側も「TVの再現」が主目的であった。。

 そして70年代に入り、子供向けTVアニメや特撮番組が定着する中で、TVアニメの企画先行でマンガ家が作品を制作するという流れが出てきた。
 以下に現在でも人気やシリーズ作品が継続しているTV番組を挙げてみよう。

●仮面ライダー(石森章太郎)
 71年4月〜73年2月、全98話
●デビルマン(永井豪)
 72年7月〜73年3月、全39話
●マジンガーZ(永井豪)
 72年12月〜 74年9月 、全92話
●ゲッターロボ(永井豪/石川賢)
 74年4月〜75年5月、全51話
●秘密戦隊ゴレンジャー(石森章太郎)
 75年4月〜77年3月、全84話

 こうして並べてみると、たった数年間に仮面ライダー、悪魔的ヒーロー、スーパーロボット、複数機変形合体、スーパー戦隊のフォーマットが、全部出揃ってしまっているのが凄まじい。
 これらのTV企画先行作品は、マンガ版とTV版の間に「主従関係」は無い。
 マンガ家の名前は「原作者」とクレジットされ、ほぼ同時進行で「原作マンガ」も雑誌掲載されたが、必ずしも同一内容ではなく、TV版とマンガ版でそれぞれ別の展開になることも多々あった。
 アニメより制約が少ない分、「原作」が暴走し、ほとんど別作品のようになることすらあった。
 そして目立って「暴走現象」の起こりやすいマンガ家の系譜として、石森章太郎を起点とする流れが挙げられるが、このことは記事を改めて詳述する。
 70年代初頭に生まれた私は、これらの作品を全身に浴びながら育ったと言って良い。

【70年代サブカル「抜け忍モノ」】
 私が子供の頃の記憶として明確に覚えているのは、70年代中盤からのことになる。
 当時の子供向けサブカルチャーには、まだ「忍者モノ」の影響が強く残っていた。
 白土三平のマンガが主導した忍者ブームは60年代がリアルタイムだったはずだが、「サスケ」「カムイ外伝」等の作品はマンガもアニメも根強い人気で、私たち70年代の子供もまだまだ忍者ごっこに興じていた。
 昔はTVアニメの再放送が今よりずっと頻繁で、ヒット作はほとんど毎年のように放映されていたと記憶している。
 書店のマンガ単行本の点数も今よりずっと少なく、回転が緩やかだったので、60年代作品は70年代に入ってもまだまだ「現役」だったのだ。

 その頃の私の眼に、「大人っぽくてカッコいい」と思える再放送TVアニメがいくつかあった。
 ジャケットが緑の「ルパン三世」第一作や、ここで取り上げる「忍風カムイ外伝」が、その代表だった。

●TVアニメ「忍風カムイ外伝」(69放映)
●マンガ「カムイ外伝」白土三平(65〜67週刊少年サンデー連載)

 抜け忍カムイの背負う孤独の影は、子供心に強く印象に残った。
 BGMや劇中歌も本当に素晴らしくて、カムイの憂いのこもった眼差しは、荒涼とした背景画のイメージと共に、今でも記憶に刻まれている。

 70年代に入って、再放送人気は高かったものの、リアルタイム作品としての「忍者モノ」は下火になった。
 以前紹介した「サルでもかけるまんが教室」(竹熊健太郎/相原コージ)には、「忍者モノ」は「空手モノ(身体能力)」と「エスパーもの(超常能力)」に分岐したという主旨の解説がある。
 確かに70年以降の、とくに子供向けのサブカルチャー作品は、SFものとスポ根ものに数多くのヒット作が生まれている。
 白土三平が切り開いた「抜け忍モノ」のストーリーの構図は、SF作品へとより多く引き継がれていったようだ。

 そうした作品の代表は、石森章太郎原作のTV特撮「仮面ライダー」シリーズになるだろう。
 主人公の「仮面ライダー」は、元来は悪の秘密結社「ショッカー」に拉致された被害者である。
 改造手術で昆虫の能力を仕込まれた怪人「バッタ男」であり、洗脳される直前に脱走してショッカーの仇敵となる設定は、まさに「抜け忍」である。

●TV特撮「仮面ライダー」シリーズ(71〜75、79〜81放映)

 小さい頃の私は、このTVシリーズを、繰り返される再放送で楽しんでいて、母親が私の弱視に気付いたのも、確かそんな番組視聴風景の最中だった。
 しかし正直、作品の「世界観」までは理解できておらず、TV画面からの刺激に対する反応ではなく、物語としての「仮面ライダー」の面白さを理解したのは、低年齢向けに描かれた「コミカライズ版」を読んでからだったと思う。
 仮面ライダーはTV番組とほぼ同時に「原作者」石森章太郎によるマンガ版(厳密に言うと「原作」ではない)も執筆された。
 話がややこしいのだが、この石森版とは別にTV版の仮面ライダーを下敷きにしたコミカライズ版も、いくつか存在した。
 私が好きだった山田ゴロ版は、71年のライダー第一作から75年のストロンガーで一旦シリーズが終了した後の78年から執筆された作品である。
 そもそもは79年から再開される新しい仮面ライダー(スカイライダー)へとつなげるための「露払い」的な雑誌連載として企画されたようだ。


●TV版コミカライズ「仮面ライダー」山田ゴロ(78〜82テレビランド連載)
 仮面ライダー1号、2号、V3、ライダーマン、X、アマゾン、ストロンガーまでの流れを、独自のエピソードも交えながらダイジェストで要領よく描き、続くスカイライダー、スーパー1の世界観に巧みに接続させている。
 それぞれのライダーに充てられた尺は短いが、TV版の設定を踏襲しながら、石森版に描かれる「改造人間の悲しみ」というテーマもきちんと盛り込み、かつ低年齢層に無理なく読みこなせる描写になっている。
 これはまさに「離れ業」である。
 とくにライダーマンについては、あらゆるバージョンの中で、この山田ゴロ版の内容が最も充実しているのではないだろうか。
 ストロンガー編で7人ライダーが初めて集結し、最後の決戦に臨む際の盛り上がりは、私を含めた当時の子供たちの間で語り草になっている。

 同時期の「抜け忍モノ」の構図を持つサブカル作品で好きだったのが、「デビルマン」だった。

●TVアニメ「デビルマン(72〜73放映)」

 あまりに有名な主題歌の中の「悪魔の力身に付けた、正義のヒーローデビルマン」という一節は、「抜け忍モノ」の本質を端的に表現しているのではないだろうか。
 後に私はこのTVアニメ版に導かれるように、「人生最大の衝撃作」としてのマンガ版「デビルマン」と出会うことになるのだが、それは80年代、中学生になってからのことだった。

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 ごく小さい頃から、孤独の影のある「抜け忍モノ」の主人公が好きだったのは、率直に言って私が弱視児童であったことが影響していると思う。
 小さい頃から眼鏡をかけていた私は、いつもどこか周囲と一定の距離を感じていた。
 そんな気分が「抜け忍」にどこか通底するものを感じていたのだろう。
 そして今にして思うと私は、思春期や成人後も、無意識のうちに同じような構図を持つ作品を求めているようなところがあった。

 少数派が好奇の視線を受け流す術は、様々にあるだろう。
 私の場合、言葉にするなら自分を「通りすがりの絵描き」と想定することで、心の平衡を保っている所があったと思う。
 私は幼い頃、親が共働きだったので、昼間は母方の祖父母の家で過ごし、そこから保育園や幼稚園にも通っていた。
 自宅で過ごすのは平日夕方以降と、休日。
 常に自宅周辺と祖父母宅周辺の二つの世界を行き来する旅人の感覚があり、遊び仲間も二か所に分かれてそれぞれに存在した。
 そうした感覚は他の子たちとは共有されず、普通は「一つの世界」で完結しているらしいことも分かっていた。
 眼鏡をかけていることの他にもう一つ「普通とちがう」ことがあったのだ。
 小学校に上がり、住む世界が自宅周辺に一元化された後も、なんとなく「旅人気分」は残っていた。
 元々孤独癖、夢想癖があり、一人遊びを好む傾向もあったので、旅人気分は苦にならず、そっちの方が楽だった。
 お仕着せの「眼鏡キャラ」とは別の、自ら選んだ通りの良いキャラ設定で、自分を守っていたのだと思う。
 高学年の5〜6年になるころには、ガンプラを作るのが得意だったり、剣道が上達したり、中学受験の勉強で成績が上がったりと、小柄なメガネ君ながら、いくつも自信を持てる分野が広がって来ていた。
 そして、何よりも私は絵描きだった。
「通りすがりの絵描きですが、何かできることはありますか?」
 そんな気分が成育歴の中でずっと続いた。
 今でもそれが、一番しっくり馴染むのである。

 70年代の子供向けエンタメ、サブカル作品は、60年代に一旦進化しつくしたノウハウをリバイバル、パロディ化しながら爛熟していった。
 以下にその過程を概観してみよう。
posted by 九郎 at 23:52| Comment(0) | 青春ハルマゲドン | 更新情報をチェックする

2019年07月13日

アジサイスケッチ2019

 今年は六月からアジサイのスケッチを重ねていました。
 近所に何か所か綺麗に咲いていてスケッチも可能な場所があり、休日を利用してそれぞれ小一時間ほどで。

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 気付いたことをメモ。
 アジサイの捉え方、描き方としては、単体の「花」というよりは「樹木」に近いかなと。
 ボタニカルアート+やや風景。

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 水彩スケッチで描く場合、アジサイ自体をあまり描いちゃいかんかなと感じました。
 花にスポットが当たった感じを出すには、むしろ周りの緑に手数を。

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 ガクアジサイを何枚か描いておきたい。
 変な「馴れ」が出て手癖でテキトーに流さないように。
 よく観る!

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 通りすがりで気に入った情景を、空気など読まず、予定も無視して描けるのが本物の絵描き。
 今の私にはまだ無理なので、出来る範囲でやるしかありません。
 おじいちゃんになる頃には本物になれるかな

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 そうこうしているうちに市街のアジサイが終わり、撮っていた写真から一枚スケッチ。
 このタイプのガクアジサイが、じつは一番好きなのです。

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 少し山間部に入れば今しばらくの満開。
 たくさん咲いている様も描いておきたい。

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 難しいけど風景画も。

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 野外スケッチで描きかけてタイムアップになっていたのを、写真を元に仕上げ。



 約一ヶ月半のアジサイスケッチ、これにて終幕!
 堪能しました!
posted by 九郎 at 23:22| Comment(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2019年07月12日

青年はサブカルチャーに一度死ぬ

 戦後まもなくの50年代から始まる戦後サブカルチャーの歩みは徐々に加速し、60年代からはTVアニメ・ドラマとマンガのメディアミックス、関連グッズによるキャラクタービジネスが開始された。
 それと共に雑誌連載マンガは読者を開拓していき、マンガを読む習慣を持つ年齢層は次第に広がり、70年頃には少年誌が青年読者にも購読されるようになった。
 その過程は、戦後生まれの団塊世代が物心ついて以来の50〜60年代、マンガ・アニメ・TVの発達と共に消費者として成長し、成人年齢に達してきた歩みともシンクロしているはずだ。
 1970年前後の雑誌連載マンガは「受ける」「売れる」ためのテーマやノウハウが一通り出揃った感がある。
 質的にも一つのピークをむかえており、後続の作品に多大な影響を及ぼしたものは数多い。
 読者の年齢層が上がり、単に「売れる」というにとどまらない「歯ごたえ」が求められるようになった。
 必ずしもハッピーエンドにならず、主人公の死や破滅が描かれる作品も数多くあり、さらには70年代初頭の終末ブームの世相を背景に、幾多の「世界滅亡」までが描かれるようになった。

 70年代前後に青年層に支持され、「青年の死」や「世界滅亡」が描かれた作品の中で、後続作品に多大な影響を残した例として、以下の四作を挙げてみたい。
 以下に制作年と当時の作者の年齢をまとめてみよう。

【カムイ伝】(1964〜71年)
 白土三平(32〜39歳)
【幻魔大戦】【新幻魔大戦】(1967年、1971〜74年)
 原作:平井和正(29歳、33〜36歳)
 マンガ:石森章太郎(29歳、33〜36歳)
【あしたのジョー】(1968〜73年)
 原作:高森朝夫=梶原一騎(32〜37歳)
 マンガ:ちばてつや(29〜34歳)
【デビルマン】(1972〜73年)
 永井豪(27〜28歳)

 多少のバラつきはあるものの、以下のような共通点が見受けられる。

・1970年前後に制作され、青年層に支持される。
・シリアスでリアルな展開の末、主人公の「死」が描かれる。
・作品制作中に絵柄がリアルタッチに変化する。
・描き起こされた時点の作者の年齢が三十歳前後。

 商業誌のマンガ家やマンガ原作者のデビューは早く、十代から二十代前半であることが多い。
 初期には読者と「同年代」的な感性の作品で腕を磨き、実力を蓄積する。
 早熟な場合はこの時期からヒットを飛ばす。
 そして幾多の淘汰を超え、構成力や画力が向上し、体力的にも充実した三十歳前後のタイミングで、「完全燃焼」の作品が生まれる……
 週刊マンガ誌を追っていると、そんなケースを目にすることが多い。
 デビューが早く、純粋培養のマンガ家は、「マンガを描く」以外の社会経験に乏しい。
 三十歳前後の年齢で一度「元々持っているもの=青少年期の感性」が全部吐き出され、作中の主人公と共に、表現者として一度死ぬ。
 それで本当に燃え尽きてしまい、作品が描けなくなるマンガ家も多い。

 読者の方も、少年期から青年期にかけて、心の在り方が変化する。
 青年はいずれ大人にならざるを得ない。
 子供なりに築き上げた「自分」というものが社会に出ることで一度リセットされる、疑似的な死と再生の刻限が迫ってくる。
 そうした不安定な時期に、同じようにもがく作者と作品は、心に深く刺さりやすいに違いない。
 鮮烈に描かれた「青年の完全燃焼の死の物語」は、民俗を喪失した現代の青年に、一種の「通過儀礼」として機能しているのかもしれないのだ。
 少なくとも私には、その心当たりがあった。

 とりわけ「主人公の死」と「世界の終り」が同期した「終末サブカルチャー」は、危うい魅力を持っている。
 いつの時代も青年は自分しか見えていないものだ。
 今の自分が無くなるなら、この世界も無くなってしまえばいい……
 ありがちな短絡だが、それを乗り超え、この泥まみれの世の中で、役を演じていけるかどうかが問われることになる。
 そこで道を踏み外せば、ピュアであるほど地獄は深くなる。

 本物の物語作者は、「死」や「終末」を描いた後に、そのまま読者を放置したりしない。
 必ず蘇って「再生」を描く。
 先に挙げた作品で言えば、白土三平は後に「カムイ伝 第二部」を描き上げた。
 平井和正と石森章太郎は「幻魔大戦」で滅びを描き、「新幻魔大戦」で再生を描いた。
 ちばてつやは「ジョー」の直後に「おれは鉄兵」を描き、永井豪は「デビルマン」の直後に「バイオレンスジャック」を描いた。
 それらの作品には、前作ほどの衝撃や切れ味はないかもしれない。
 それでもしぶとく描かれた作品は、不思議な懐の深さをもって、青年の危機を迎えた読者に「それでも死ぬな。しぶとく生きろ」と語りかけたのである。

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 サブカルチャー作品の在り様で見る限り、60年代末から70年代初頭にかけて、様々な試みは既に「一周」してしまっている。
 70年代も中盤以降はリバイバル、バリエーション、そしてパロディの周回に突入しており、そこには新たな顧客層が用意されていた。
 50〜60年代サブカルを存分に浴びて育った団塊世代が成人し、「団塊ジュニア」が巨大なボリュームゾーンとして産み落とされた。
 以後のサブカルチャーは団塊ジュニアによって消費されながら、TVを中心に咲き乱れていくことになる。
 そして大枠で言えば、私自身もその真っ只中で成育歴を重ねてきたのだ。
(70年代サブカル前史:戦後〜60年代編、了)
posted by 九郎 at 23:59| Comment(0) | 青春ハルマゲドン | 更新情報をチェックする

2019年07月11日

70年代サブカル前史:60年代「忍者」から「スポ根」へ

 過去記事で、戦後の子ども向けエンタメ(とくに男の子向け)の祖型となった三つの50年代作品を元に、「うける」要素として以下のものを仮定してきた。

【月光仮面】バトル・変身・アウトロー
【ゴジラ】怪奇・異形
【鉄腕アトム】メカ・SF

 50〜60年代の児童向けエンタメの中心軸は、「アトム」に代表される「メカ・SF」に、かなり引き寄せられた。
 しかしそれは手塚治虫という異能であればこそ可能になった力技であって、基本的にはマニアックなジャンルであり、本来は児童向けエンタメの「王道」にはなり得ないものであった。
 昔も今も、時代を超えて男の子が憧れる一番人気のテーマと言えばやはり「戦い」「強さ」であり、50年代のTV黎明期で言えば「月光仮面」がそれを代表していたのではないだろうか。
 さすがの手塚、さすがのアトムと言えども、人気を安定させるためには本来の「文明批評SF」路線だけでなく、「ロボットバトル」の要素を大幅に導入せざるを得なかったのだ。

 マンガ、アニメの世界で直接「強さ」「バトル」を前面に押し出し、60年代を牽引した異能の一人が、忍者ブームを巻き起こした白土三平だった。

【白土三平の忍者ブーム】
 白土三平は1932年、東京で画家の父の家に生まれた。
 十代で手塚漫画を知り、成人前には紙芝居の制作を開始している。
 1957年頃から貸本漫画を描き始め、59〜62年には当時としては異例の長編にして初期の代表作「忍者武芸帳」を執筆。
 並行して「サスケ」「シートン動物記」等を執筆し、64年には「ガロ」の創刊と共に代表作「カムイ伝」連載開始。
 他作品のTVアニメ化(68年「サスケ」、69年「忍風カムイ外伝」等)の進行とともに、「カムイ外伝」「ワタリ」と並行して71年の第一部完結までを描き切った。

 児童を含めた男性読者の「強さ」への憧れは、古くから剣豪物語や講談等で消費されてきた。
 白土三平作品の一連の忍者マンガの特徴は、時に残虐ですらある激しい戦闘描写、当時としてはリアルな絵柄、そして「理屈付け」にあった。
 登場する忍者や武芸者は超人的な技や強さを発揮するけれども、そこには必ず(実際に可能であるかどうかはともかく)合理的な解説があり、読者に「現実にあり得る」と納得させるリアリズムがあった。
 強さの描写にリアリズムを追及する以上、あまり空想的なモンスターは登場させられない。
 しょせん個人の「強さ」などたかが知れているという結論に向かわざるを得ず、「本当の強さ」を追求する過程で必然的に「社会と個人」の問題にまで、作品テーマは深化していった。
 その集大成になったのが、70年前後に描かれた「カムイ伝第一部」ということになるだろう。


 白土三平の忍者マンガは時代劇であったが、現代劇の中でもSF設定に頼らずに直接「強さ」を扱う作品も、60年代には次々にヒットするようになった。
 不良少年のケンカ沙汰をメインテーマにした「番長モノ」である。

【子供向けヤクザ映画としての番長モノ】
 法令順守、アウトロー排除の風潮が、私などから見れば行き過ぎと思えるほどに徹底される現代にあっても、ヤクザやヤンキーを主題としたフィクションは、根強い人気を持っている。
 アウトローを主人公とした物語が好まれる傾向は時代を超えていて、直接的には江戸時代あたりまで遡ることができるだろう。
 近代に入ってからも、たとえば浪曲のヒーローは大半がやくざ者であり、サブカルチャーの世界ではむしろそれが主流であったと言って良い。
 少年マンガは戦後長らく子供向けサブカルチャーの華であったが、おそらく先行する浪曲の世界や、同時代に流行したやくざ映画の影響を受けていたはずだ。
 番長モノの主人公の多くは「ケンカ自慢の不良」とは言うものの、恐喝等の犯罪行為や集団暴力に関与することは無い。
 組織を嫌う一匹狼タイプであることが多く、一般生徒に手を出したり、犯罪行為を行う「悪い不良」を懲らしめ、改心させる役割を担う。
 こうした作劇は、浪曲等に登場する「良いヤクザ」の任侠の世界観そのままで、ストーリー自体も下敷きにされている場合が多々ある。
 そこに対象年齢を低くするための少年マンガ的な設定が加えられる。
 物語冒頭は学園等の子供の日常空間を舞台とし、主人公はそこに通学する中高生とする。
 バトルは「素手のタイマン」(一対一で武器は使用しない)が基本ルールで、あくまで「遺恨を残さない子供のケンカ」の範囲内で決着が付けられ、生死にかかわることはあまりない。
 舞台設定が身近な「地元」からじわじわ拡大し、「強さのインフレ」とともに広域化して行く傾向は、現実の戦後やくざの抗争広域化、それをネタにした映画作品の影響があるかもしれない。
 主人公は「純情硬派」タイプで、性的にはむしろ潔癖であることが多い。
 こうして列挙してみると、ウケるための二大要素である「バイオレンス」「エロ」に一定の歯止めがかけられているのがわかる。
 そこで描かれるのは、義理人情、純情硬派、弱きをたすけ強きをくじく任侠道など、極めて古風な倫理観である。
 不良を主人公とした少年マンガ作品が、アウトロー的な世界を描いているにもかかわらず、社会問題化することが少ないのもうなずけるのである。
 私は世代的に60年代リアルタイムでは読んでいないが、アニメ化されたものを再放送で視たりして、一応記憶には残っている。
 代表的な作品は、以下のものになるだろう。

●「ハリスの旋風」ちばてつや(65〜67年、週刊少年マガジン)
●「夕焼け番長」原作:梶原一騎、作画:荘司としお(67〜71年、冒険王)
●「男一匹ガキ大将」本宮ひろ志(68〜73年、週刊少年ジャンプ)

 この三作を並べてみると、少年マンガ誌の王道中の王道テーマである「バトル」の基本的な創作スタイルは、「番長モノ」の系譜の中で形成されたのではないかと思えてくる。
 とくにジャンプ創成期のヒット作である「男一匹〜」あたりの連載時期になると、後の「バトル作品」でも繰り返されることになる「強さのインフレ」や「無理な連載の引き延ばし」等も含め、良くも悪くも様々な要素が出揃っている感がある。
 現実世界を舞台とし、あくまで少年同士のケンカに限定された「番長」の枠を取り外すと、後の様々な「バトル作品」に進化するのだろう。
 SFやファンタジーの要素を導入すると、お話のスケールが大きくなり、絵的にも派手になるが、その分「強さのインフレ」の度合いも桁外れになり、構成が崩れやすくなる。
 ちばてつやと梶原一騎はそのあたりのバランス感覚と、当時の少年マンガの中でのリアリズムの作り方が非常に巧みなマンガ家、原作者であったということだろう。
 この二人は並行して「スポ根モノ」のヒット作も作り上げていく。

【60年代後半、スポ根モノの隆盛】
 少年マンガのカテゴリで現代劇としてバトルを描く場合、様々な制約が生まれてくる。
 いくらフィクションとは言え凄惨な戦いをリアルに描くことは難しく、武士や忍者の登場する時代劇でもないかぎり、殺し合いのような生の「実戦」を扱うことは不可能になる。
 先に紹介した「番長モノ」の場合、一対一の素手のタイマンをバトルの基本ルールとすることで、最低限の倫理観はクリアされたが、「不良のケンカ」を作中で肯定的に描くことは、どこまで行ってもグレーゾーンでしかありえない。
 そうした問題点を完全に払拭できるのが、バトル要素をスポーツ競技の枠内に収める「スポーツ根性モノ」だった。
 スポーツであればルールがはっきりしているので勝敗が分かりやすく、団体競技ならチームバトルの面白さも出てくる。
 格闘技のような極めて激しい戦いであっても「あくまでルール内の出来事」として、いわば「言い訳」が効くわけだ。
 単に「スポーツ」を扱ったマンガ作品はそれ以前にも連綿と存在したが、梶原一騎が主導して付け加えた「根性」の部分に、60年代後半から隆盛を迎える「スポ根モノ」の独自性があった。
 主人公が超人的な「根性、努力」により、必殺技や魔球を会得する様や、最先端のリアルな劇画調の絵柄は、先行する白土忍者マンガの要素をなぞっているけれども、何より読者がマンガと同じ競技を実際に体験できるのが強みだった。

 この路線では「巨人の星」「タイガーマスク」を代表とする多くの作品が制作された。
 中でも梶原一騎とちばてつやという、この分野の「二大巨頭」がタッグを組んだ最高傑作と言えるのが、1968年から週刊少年マガジンで連載された「あしたのジョー」だった。
 この作品は通常、人気が定着し、TVアニメ第一作が放映されたタイミングから「70年代」と認識されることが多いと思うが、作中で描かれる時代背景は、どちらかと言うと60年代的な雰囲気が強い。
 ちば作品の中では珍しく、梶原一騎(高森朝雄名義)の原作がついているが、他の「梶原マンガ」とは少し雰囲気が違って見える。
 他の作品より、相対的にちばてつやの作風の割合が多いのではないかと感じるのだ。
 梶原一騎の強烈な個性をねじ伏せ、「あしたのジョー」を他ならぬちばてつや自身の作品に見せているのは、一人一人のキャラクターを丁寧に掘り下げる執筆姿勢と、連載後期のあの切れ味鋭く濃密な描線あったればこそだろう。
 連載初期の「あしたのジョー」は、それまでの子供向けちば作品のままに、わりとシンプルな線で描かれていた。
 ところが、ライバルである力石を死に追いやった伝説の一戦前後から描線は飛躍的に密度を増していき、ラストのホセ・メンドーサ戦前あたりからは、どんな小さなコマ一つを切り取っても「絵」になっており、たっぷり感情がこもったキャラクターが描かれるという、奇跡のような高みにまで上り詰めている。
 手練れの役者はさりげないシーンを演じながらも、そのシーンだけではなく役柄の日常生活まで感じさせる演技をするものだが、連載後期の「ジョー」の絵は確実にそのレベルまで到達していた。
 世界に冠たるニッポンマンガ史上でも、これほどのレベルの神懸った描線に到達した例は、ごく少数を数えるのみなのではないかと思う。
 そしてあまりにも有名な「真っ白に燃え尽きた」ラストシーンは、思春期前後の青少年の心に突き刺さる、奇跡のような一枚になったのだ。

 60年代後半から70年代初頭にかけて、少年向けエンタメの中心軸は、アトムに発祥する「メカ・SF」から、バトルを中心軸に置いた「スポ根」に完全に移行していたのである。
posted by 九郎 at 23:32| Comment(0) | 青春ハルマゲドン | 更新情報をチェックする