2018年12月26日

小田雅弘「ガンダムデイズ」

 今年10月、私たちガンプラブーム世代のかつての「神」小田雅弘の「ガンダムデイズ」が刊行された。


●「ガンダムデイズ 」小田雅弘(トイズプレス)

 読んでいるとあの頃の記憶が次々によみがえってきたので、覚書として書き留めておきたいと思う。

 80年代初頭、大学生だった小田雅弘はじめとするモデラー集団「ストリームベース」は、当時のプラモ少年にとって、ガンプラブームを牽引するカリスマ集団だった。
 私たち小学生の間でも「ストリームベースの小田さん」と言えば、「世界一ザクを作るのが上手い人」だったのだ。
 とくにキットの胴体肩部分を「ハの字」にカットし、下から見上げた形にパースをつける加工法は衝撃で、日本中のガンプラファンが真似したのではないかと思う。
 同じ頃の私はと言えば本当に子供だったので、ガンプラ制作と言っても成型色以外をはみ出さずに塗ることで精いっぱい。
 ザクの肩のハの字切りは、果たせぬ夢だった。
 それからはるかに時は流れ、数年前にガンプラ復帰してから早々にハの字切りリベンジは果たした!

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 夢を果たしてみれば、土偶だなんだと言われる旧キットの、なんと愛しいことか。
 今風のカッコよさとは全然違うけど、意外と大河原設定画に忠実だし、足首無可動でもつま先形状のおかげで「一歩踏み出し」が決まるのだ!

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 小田さんと言えばなんと言ってもザクなのだが、それに匹敵する衝撃だったのが「HOW TO BUILD GUNDAM2」のジオング。
 今回の「ガンダムデイズ」によると、あのダークでメカニックな作例は、実はかなり突貫工事で、天井に張り付けた設定画を就寝前に夜ごと眺めながら制作されたとのこと。
 去年私が旧キットのジオング作った時も、やっぱり小田さんの伝説の作例が頭にあった。
 技術的に難しいことはできないのでとりあえず素組してみると、形状自体は全然悪くなかった。
 今でもジオングの改造素体としては安くて良いものではないかと思う。
 せめて塗りは頑張ろうと思い、小田さんのダークな色遣いや、大河原御大のポスターカラーイラストの筆遣いを参考に塗った。
 金属シャフトで可動が限られてるけど、見る角度によっては十分カッコよく、自己満足にふけることができた。

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 本を読んでいてちょっと衝撃だったのが、MSV第一弾の旧キット1/144 06Rのこと。
 最初期ガンプラで、子供心に色々不満があった旧キットのノーマルザクに比べ、小田さんの作例を模したと思しき06R は、箱絵も含めて本当にカッコよく見えて熱狂した。
 私たちガンプラ少年は、「これ、小田さんのザクや!」と感動したものだったが、ご本人はあのキットも箱絵も不本意で、結局一度も作らなかったそうだ。
 小田さんの「ザク愛」を、逆に強く感じるエピソードであった。

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 MSVシリーズで第二次ガンプラブームになり、小田さんご自身はジオン系にしか関心がなかったようだが、当時のメイン顧客はやはり小学生。
 膨大な数の小学生ファンのもたらす売り上げが、年齢層の高いジオン好きのマニア層の趣味を買い支えるという構図が既にあった。
 そして当時の私を含む小学生は、なんだかんだ言ってやっぱりガンダムを欲しがった。
 そこで「プラモ狂四郎」のパーフェクトガンダムと、小田さん、大河原御大の合作で出来たのが、MSVシリーズの「主役機」フルアーマーガンダムである。

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 年長ファンのザク愛と年少ファンのガンダム愛、その両輪が生んだあの奇跡については、今年先行して刊行された「MSVジェネレーション」(あさのまさひこ)関連記事で存分に語ったことがある。

 分岐点1983 その4


●「MSVジェネレーション ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのための『ガンプラ革命』」あさのまさひこ(太田出版)

 今年はあれから35年のメモリアル。
 当時を振り返る書籍がいくつも刊行される年になった。

●「MSV THE FIRST」 (双葉社MOOK)
 83〜84年当時のMSVやMSXにまつわる設定画やパッケージアートを、大きいサイズのカラーでほぼ網羅してある。
 印刷物からのスキャンデータらしく、色味の精度はやや低いが、これだけの図版が一冊で揃うのは貴重。
 当時の関連年表や、関係者へのインタビューも豊富。

●「GUNDAM CENTURY RENEWAL VERSION―宇宙翔ける戦士達」(樹想社)
 ガンダム世界のSF考証の原点となった伝説の特集本。
 2000年に一度復刻されるも、長らく古書価格が高騰し、入手困難だった。
 しかしつい先ごろ樹想社の通販で、定価の半額の2000円+送料で通販が開始。
 何らかの事情あってのことかもしれないが、ここは「買って応援」の場面ではないだろうか。


 今年はtwitterで多くの凄腕モデラーの皆さんとも出会い、サブカルチャーについて様々に考えることのできた一年になった。
posted by 九郎 at 18:16| Comment(2) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2018年12月25日

年を忘れつ師を想う

 忘年会シーズンである。
 百点満点には程遠いけれども、まんざら捨てたものでもなかったこれでの人生、全員参加の強制忘年会のある職場と今まで無縁だったのは、とくに幸運だったことの一つだ。
 酒はまあ、嫌いではないけれども、飲みたくもない場で飲みたくもない人間と飲むのは、難行苦行に近いだろう。
 若い頃は師匠によく飲みに連れていってもらったが、義理で付き合ったことは一度もない。
 俺も師匠も泡盛好きで、むしろ俺が師匠の話を聴きたかったので、そこにハラスメントの要素は一切なかった。
 数年前に亡くなってから、かえって師匠のことをよく思い出す。

 俺の師匠が偉かったのは、人間としてはあくまで対等で、技や知識の面でだけ圧倒的であったこと。
 技は、目の前でやって見せる。
 知識は、日常会話の端々に溢れだす。
 それで、たまたま俺の方がちょっとだけできることや知ってることがあると、「おお、なるほど!」と喜んですぐ取り入れる。
 本物の実力と自信がないと、なかなかできることじゃない。
 やっぱり師匠は偉かった。
 師匠がこんな感じだったら、敬意はほっといても湧いてくる。
 教わる方の目が確かなら、上下など関係必要ないのだ。
 俺も年食ってあの頃の師匠に近くなったけど、あれは見習わんといかんなと、あらためて思う。

 実力のないバカほどどうでもいいことでマウントを取りたがるし、我がニッポンのセンセーや上役の大半は、そういうバカで溢れているのだ。
 自戒を込めて。


 思い返せば、俺は中高と超スパルタ受験校で、当時ですら時代錯誤の軍隊式体罰指導を受け続け、心のどこかが酷く傷ついてしまっていたのだ。
 師匠はそんな俺に、至極真っ当な師弟の在り方で接してくれた。
 あまりこの言葉は好きではないが、それはやはり「癒し」であったと思う。

 今でもついつい「スパルタ」と書いてしまうのだが、あれは正しくは「虐待」であった。
 虐待は俺の魂の深部に刻まれ、多分一生消えることはない。
 無意識のうちに「スパルタ」と書いてしまうのがその証。
 心底恐るべきは虐待の連鎖だ。
 どのように恫喝し、追い込めば、人は隷従するか。
 そのノウハウを俺は刷り込まれてしまっているので、加害者になる危険性は十分ある。
 だからこそ、つらいばかりでなくもちろん楽しいこともあり、自然豊かで牧歌的なバンカラ気風の魅力もあった我が母校のかつての指導方針を、ここはあえて「虐待であった」と言い切らねばならぬ。
 負の連鎖を自分一代でなんとか断ち切るために。

 師匠は俺に良心回路を組み込んで、虐待経験に上書きしてくれたが、残念ながらその効果は不完全だ。
 心身の疲弊などの隙を突き、いつでも悪魔回路の方が起動する。
 キカイダーの「ギルの笛」が鳴るようなものだ。
 それをよく自覚しておくことだけが、加虐衝動を抑止する。

 自分に刻まれた虐待を、なるべく冷静に分析する事で分かることは多い。
 虐待は必ずしも身体的な暴力や感情的な暴言に限らない。
 笑顔と善意と優しさに満ちた虐待というものもあり得る。
 鞭と鎖の散在しない、「厚待遇の奴隷」が存在するのと同様である。
 俺が中高生の頃受けた体罰指導は、教師にとっては善意であり、熱意であった。
 今にして思えば歪んだ嗜虐も間違いなくあったと分かるのだが、当時の俺にはそこまで見えていなかった。
 厳しい体罰指導と引き換えの進学実績により、善意の虐待体制の完成する。
 これは昨今表面化している部活の体罰と全く同質で、「熱心な指導」という建前で、体罰(=虐待)や、長時間の練習、非科学的な食事の強制がまかり通る。
 ほんの一握りの成功事例(それも指導の賜物であるかは疑わしい)のために、潰された児童生徒が山と積み上げられる。
 そうした指導に馴らされた者が指導者に回り、虐待は連鎖する。
 もちろん疑問を感じて連鎖を断ち切る者もいるが、自己否定を伴うのでかなり難しい。
 俺が通っていた中堅私立受験校でも、純粋培養のOB教師が多くて、確実に虐待は連鎖していた。
 当時ですら時代錯誤の校風には、そのような背景があった。
 虐待は、肉体的にはもちろんのこと、精神的な被害も深刻だ。
 本当に嫌な言葉だが「奴隷根性」というものはある。
 恫喝で馴らされた者は主体性を喪失し、進んで隷従を求めるようになる。
 嬉々として他人にも奴隷根性を強い、従わない者を憎悪するようになる。

 長い受験勉強から解放された大学時代、カルトにハマる真面目で優秀な学生の事が度々話題になる。
 俺の見聞きした範囲では、大学で急にカルト志向になったのではなく、そもそも幼少の頃から受けた指導がカルトじみていたケースが数多い。
 一見「熱心な指導」の皮を被った虐待は、世に蔓延しているのだ。

 日本では学校でも社会でも奴隷根性を強いられる場面が多々あるが、大学というのは例外的にそうした圧力が低い。
 難関大学合格者の中には幼少の頃からの厳しい受験指導しか受けてこず、主体性が全く育成されないままに、いきなり「自由」に放り出され、途方に暮れるケースがある。
 保護者も受験校教師も、生徒を難関大学に押し込みさえすれば自分の役目(善意の虐待)は終わったつもりで、「後は自由に楽しく生きよ」と放置する。
 しかしそれは、お座敷犬をいきなりサバンナに放つのと同じ種類の、新たな虐待行為だ。
 主体的に歩むことを成育歴の中で全く教えられなかったタイプの大学生は、いきなり与えられた自由と自己責任に戸惑い、強制を受けないことにむしろ物足りなさを感じ、かつて受けた「善意の虐待」と同じようなものを求めるようになる。
 私の知る範囲でも、そのような流れでカルトに走った同窓生が何人かいた。

 青春ハルマゲドン(後半)

 表面上は「体罰」という肉体的な暴力を使っていなくとも、子供の自主性を奪い、奴隷根性を植え付ける指導法は色々ある。
 宿題を大量に出す教師や塾講師、とにかく長時間の練習を課すコーチなどがそれにあたる。
 保護者にとっては「極めて熱心な先生」に映るが、指導の実態は虐待だ。
 むやみに大量の宿題や長時間の練習を課す指導者が多いのは、それが一番簡単に「熱心さ」を誇示できるからであって、生徒のためを思ってのことではない。
 無能な指導者ほど、生徒の大切な生活時間を浪費させることに熱心だ。
 それで結果が出ないと、自身の無能を棚に上げ、生徒の努力不足を責める。
 すると素直な「いい子」は、以下のように自分を責める。
「先生はこんなに熱意をもって指導してくれているのに、自分の努力が足りないばかりに結果が出ず、そのことで先生を苦しめている」
 この「先生」の部分を入れ替えれば、学校であれ部活であれ塾であれ、または宗教であれ企業であれ、どこでも虐待カルトは成立する。
 もちろん国や軍隊でも同じだ。

 最近Twitterで以下のような呟きを目にした。

「圧倒的努力は必ず報われます。報われないのはそれが圧倒的努力ではないからです」

 指導者として無能な者の典型的な言い種であるが、これが言論機関たる出版社の経営者の発言であるのだから絶望的な気分になる。
 何事かを為すには、個人の資質、適切なノウハウに沿った努力、そして何よりも運や巡り合わせが不可欠だ。
 根性論だけが成功の鍵であるかのように言う者は、自分に都合の良い奴隷を欲しているのである。
 この手の妄言は「善意の虐待大国」ニッポンに蔓延している。
 虐待や酷い搾取の被害者側が、このような妄言を嬉々として持ち上げるサンプルとして、先の妄言に多数の賛同のコメントがぶら下がっている。
 これも一種の「虐待の連鎖」である。
 幼い頃から表面上は暴力に見えない「善意の虐待」に馴らされた若者は、「自分の頭で考え、意思決定する自由」を与えられると逆に戸惑い、再び善意の虐待へと回収されていく。
 カルト的な受験指導を受けた優秀な大学生が、入学後の自由から逃げるようにカルト団体に入るのと同じ構図だ。

 このような世相の中、個人にできることは限られるけれども、まずは自分の中の虐待の連鎖を断ち切ることから始めるべし。
 それこそが、今は亡き師匠への、最良の供養になるだろう。

 カテゴリ「夢」:本当のおわかれ

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posted by 九郎 at 23:24| Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2018年12月24日

川奈まり子「実話奇譚 奈落」

 川奈まり子「実話奇譚 奈落」読了。
 先月末の新刊だが、ずっと以前からTwitterで折々の呟きを拝見し、気になっていた書き手の本なのでこのカテゴリ積ん読崩しでご紹介。


●「実話奇譚 奈落」川奈まり子 (竹書房文庫)

 最初の「写真の顔 〜まえがきに代えて〜」からいきなり引き込まれ、ぞくぞくしながら読む。
 スマホ写真で度々異様な写り方をする著者の顔。
 そしてラストの小さな落胆。
 それは裏を返すと、異常な写り方に対する親近感か。
 そう、顔の写り方は、しょせん顔の写り方「ぐらいのこと」なのだ。
 もっと恐ろしいことは日常の中にいくらもある、とまでは著者は書いていないけれど、怪異に対する距離感が伝わってくる、そんなラストシーンだった。

 怪異だけでは「語り」にならない。
 そこに語り手の視点がなければ。
 これは絵でも同じ。

 著者自身の体験の後も、短い、ぶつ切りとも言える小さな怪異の実録が続く。
 すっきり謎解きされることのないぼんやりした不安が、ひとつ、またひとつと降り積もる感覚。
 殊更に恐怖を煽ることのない淡々とした筆致が刻む恐さ。
 マンガでいえば、線は少ないがリアルな絵柄のような雰囲気か。
 何らかの「境界線」を手探りで確かめるように重なるエピソードを、間を置きながらじっくり読み進めていく。

 終盤に差し掛かったエピソード「姉」で、暫し余韻にひたる。
 中学生で劇的変身を遂げたこのお姉さん、妹さんが不安になるような「別人」ではなく、たぶん「合体」ではなかろうかと、勝手な想像をしてしまう。
 というのは、この奇譚のように劇的ではないものの、私も中学の頃、自分の人格が少し変貌するのを感じた記憶があるからだ。
 元々の私は真面目で大人しい性格だったのだが、ある時期からしぶとく気性の激しい部分が強く出てきた気がするのだ。
 当時の私はかなり厳しい(今なら虐待指導と言って良い)私立校に通っていて、精神的にかなり追い詰められていた。
 もし生真面目なままであれば潰れてしまっていたかもしれないし、下手にカルトな校風に適応できていたとしたら、卒業後本物のカルトに走っていたかもしれないのだ。

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 当時大好きだったマンガデビルマンになぞらえて、「ああ、俺は悪魔と合体したんだな」と、まさに中二病丸出しで考えていたのだが、それで虐待指導からサバイバルできたのだからまずは自分を褒めてあげなければならない(笑)

 そう言えば同じ中高生の頃、よく金縛りにあっていた。

 金縛りと幽体離脱

 上掲記事にも詳述した通り、今の私はそれを必ずしも「霊現象」だとは思っていないが、「思春期と怪異」というのは、かなり関連が深いように感じる。
 思春期の強いストレスは、怪異(と一般に呼ばれる現象)を呼び込み、ある種の「変身」を促すことがある。
 それは対処次第で毒にもなり、薬にもなるのではないだろうか。
 現実が地獄であるなら、怪異は一種の救いになり得るのだ。

 さらに読み進めて「羅生門と彼岸花」へ。
 私の母方の田舎も百年くらい前まで土葬が残っていた地域で、秋のお彼岸の時期、お墓へ続く道には彼岸花が咲き乱れていた。
 そんな懐かしくも怪しい原風景を思い出すお話。
 今でも彼岸花は大好きで、秋分の時期になると絵に描きたくなる。

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 そして最終盤「人形」へ。
 球体関節人形にまつわる怪異。
 私はガンプラブーム世代なので、ボールジョイントやフィギュア表現の発達をリアルタイムで見てきて、自分でも色々作ってきた。
 ただ、メカや怪獣はたくさん作ったのだが、「ひとがた」のフィギュアはちょっと敬遠していた。
 中高生の頃、少しだけ作りかけてみて、ほんの入り口で引き返したのだ。
 たとえば顔の部分をリアルに塗ろうとすると、絵で描くのとはまた違った生々しさが感じられ、「これはちょっとまずいのではないか」と感じた。
 のめり込んで「ひとがた」を作ることの難しさと、その引き換えに得られる怪しい悦楽に、当時の私はびびってしまったのだと思う。
 奇譚中の「女優さん」への心当たりとともに、思春期の頃の創作への危うい思いがよみがえってくるエピソードだった。

 間を置きながら読み進め、一冊分、とても良い時間を過ごせたと思う。
 怪異は過去の記憶との対面で、他者の実話語りの中に自分の過去を見るような読書体験だった。
 中高生の頃のつらさや金縛り、物を作ることへのおそれの感情なども懐かしく、「地獄は一定すみかぞかし」という我が家の宗派の言葉も浮かんできた。

 怪異というものは、虹や野生生物の出没などの自然現象に似たところがある。
 そちらに注意を向け、観ようとしない者の眼には映らない。
 夢もそうだ。

 広く実話奇譚を蒐集する川奈まり子の眼に、今後どんな視野が広がっていくのか。
 これからも追ってみたい。
posted by 九郎 at 00:06| Comment(2) | 積ん読崩し | 更新情報をチェックする

2018年12月23日

ジオン系MS「モノアイレール」についての覚書

 1979年放映のTVアニメ「機動戦士ガンダム」は、ロボットアニメに多くの革新をもたらしました。
 デザインの上では、主役メカのガンダムと同等かそれ以上に、敵役の量産機「ザク」の功績が大きく、作品の「リアル」な側面を担っていました。
 ザクで創出された意匠は数多いですが、とりわけ印象深かったのが「モノアイ(単眼)」です。
 モノアイが優れている点は、非人間的なメカニックでありながら、レールに沿って頭部をグルッと周回することで「表情」が出せることです。
 ガスマスクを被ったようなおよそ人間離れしたデザインで無表情なザクに、巧みに「演技」をさせてしまうのです。
 真っ暗なレールの中から「ビーン」とピンクのモノアイが点灯し、左右に動いてザク同士アイコンタクトするあのゾクゾク感は、時代を経ても色褪せません。

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 ザク以降のジオン軍MSでも、モノアイの演出上の面白さは有効に活用されてきました。
 ドムが登場した時の「おお! 上下にも動くんかい!」という驚きも忘れられません。

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 水陸両用MSになると、さらにモノアイは進化します。
 実質「頭部」が無くなり、胴体に直接レールが敷かれることで可動範囲が飛躍的に広まり、ピンクのモノアイが自由自在に動きはじめます。

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 その究極がゾック!
 しかも、「見た目より性能高いアピール」で、物凄く素早くモノアイを動かしてみたものの、一撃でやられるオチ付き!
 ある意味あれも衝撃でした(笑)

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 ただ、ファーストガンダムのジオン系MSの中で、終盤登場のゲルググ(実質富野デザイン)だけはちょっと変わっていて、モノアイレールの可動幅が小さく、ファースト以降の続編に登場したジオン系MSに近い雰囲気です。

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 ここは子供の頃から気になって、「後頭部のトサカがセンサーになってて、視野の狭さを補ってる?」などと妄想してました。
 しかしジオン最終MS ジオングになると、モノアイレールの可動が最大限に復活します。
 ピンクのモノアイが登頂部を通ってグリグリ動き回る演出が、異形を際立たせて記憶に残っています。

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 こうして振り返ると、ジオン系モノアイデザインの面白さは、レール上の可動込みのものだったのかなと思います。
 ガンダム第一作以降のジオン系MSの新規デザインで、うまく継承しきれていないなと感じる点が、このモノアイレールで、「単眼」という点だけはクリアされていますが、レールに沿ってグルっと可動するイメージが薄くなっています。
 続編「Ζガンダム」に初期から登場したリックディアスのモノアイが、その典型であるように感じます。
 単眼がレール上を周回するのではなく、設置位置はそのままで角度を変えて視認方向を変える感じのものが多い印象です。
 一見レールに似たスリットがデザインされている場合でも、可動範囲はきわめて狭く、印象に残るシーンが少なくなっています。
 ゼータ以降のMSデザインの骨格を作ったのは永野護で、リックディアスも永野護の手によります。
 そう言えば永野護は好きなファーストガンダムのMSとして、ゲルググを挙げていたことがありました。
 MSデザインを大河原邦男一代限りにせず、他のデザイナーにバトンリレーさせた永野護の功績は大ですが、残念ながら「モノアイレール」にはあまり関心がなかったのかもしれません。(ハンブラビという異様な「例外」もあるので話はまたややこしくなるのですがw)
 一応補足しておくと、私はファースト原理主義者ではありませんし、中高生の頃はむしろ永野信者でした。
 ゼータの永野原案MSは、今から見るとどれも実にMSらしいMSで、好きなのばかりです。
 あくまで「モノアイレール」についての感想です。

 リックディアス的なモノアイ解釈は、小顔で洗練されたカッコよさは出ます。
 続編「逆シャア」のサザビーや、近年作「UC」のシナンジュはそのデザイン的な精華でしょう。
 ただ、ファーストのジオン系MSの、なんともいえぬ異形、なんともいえぬ武骨なイメージは薄れたのではないかと思います。
posted by 九郎 at 07:57| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2018年12月22日

柚子湯

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 柚子をもらったので今夜は柚子湯。
posted by 九郎 at 21:16| Comment(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする