2019年03月04日

カテゴリ「怪異」

 昨年末から川奈まり子の著書を読み続けている。
 ジャンルは「実話怪談」で、ごく簡単に言えば「本当にあった怖い話」に分類されるだろう。
 そのジャンル自体に強い関心があったわけではないのだが、昨年から始めたTwitterの著者アカウントを追ううちに、本を手に取るようになった。

 川奈まり子の実話怪談は、以下の三段階から構成される。

・実体験
・本人の語り
・聴き取った川奈まり子の文章

 この三段階の微妙な距離感が、実にスリリングなのだ。
 ことさらに恐怖を煽ることのない淡々とした筆致は、「現代の民俗学」のように感じられる。
 怪異体験と自己同一化の強い語り手と対する時、聴き取りは川奈まり子の直接体験の様相を帯びてくる。
 本の要所要所に、著者自身の(現在進行形のものも含めた)体験談が挿入されており、実話怪談の蒐集の体裁を取りながらも、大きな流れとしては「川奈まり子の物語」になっているのも凄い。
 読み進めるうちに、読者である私の側にも怪異が呼び覚まされてくる。
 怪異は過去の記憶との対面で、他者の実話語りの中に自分の過去を見るような読書体験になってくる。
 ここまでくると「怪異」の浸食は、体験者から川奈まり子を通じ、読者である私自身にまで及ぶのだ。

 すっかりハマって二冊三冊と作品を追い、気付いたことをメモ代わりにTwitterで呟いていて、頭の中で次々に触発されてくるものがあった。
 当ブログ「縁日草子」の各カテゴリで別々に追い続けてきたテーマを、横断的につないでいける可能性を感じた。
 関連して読み返しておきたい本、新しく読みたい本が何冊か出てきた。

 良い機会なのでカテゴリ「怪異」を新設、ぼちぼち記事を書いていくことにした。

 まずは川奈まり子の作品紹介から始めてみたいと思う。(既に投稿していた記事もありますが、こちらに整理再録しておきます)
posted by 九郎 at 23:51| Comment(0) | 怪異 | 更新情報をチェックする

2019年03月03日

「じゃりン子チエ」の孤高

 マンガ「じゃりン子チエ」のコンビニ版を見かけた。
 懐かしくなり、読み返してみる。
 やっぱりすごくいい。
 すぐにはフォロワーが思い付かない孤高の名作である。
 連載当時小学生だった私は、アニメ化されてからファンだった。
 掲載誌は大人カテゴリで、元来は子供向けの作品ではなかったはず。
 だからこそというべきか、登場する大人キャラの感情表現が細やかで、読みごたえがある。
 灰谷健次郎の児童文学作品にも、少し通じる雰囲気がある。
 登場人物の作中に描かれている以外の時間の過ごし方、生活感まで、みっしり感じられる。
 マンガにおける人物描写の厚みでは、ちばてつや作品と双璧かもしれない。

 おっさんになってからあらためて読んでみると、一話ずつしみじみ味わえる。
 博徒、テキ屋、稼業人、愚連隊など、アウトローがけっこう細かく描き分けられてるのに気付いたりもする(笑)
 テツやカルメラ兄弟が「ヤクザではない」という設定は、子供の頃はもう一つピンと来ていなかった。
 今読むと「じゃりン子チエ」作中の「ヤクザ」は、割りと厳密に「博徒」として描かれている感じがする。
 カルメラ兄弟はテキ屋で、テツは強いて言うなら愚連隊だろうか。
 アウトローと堅気の間にはさほど明確な線引きはなく、グラデーションの中、日々の肉体労働に疲れた男たちが束の間休息するホルモン焼き屋の風景。
 テツのかつての恩師、花井拳骨先生は、古き善き地域の文化人の趣き。
 一昔前までの学校の先生は、歴史、文学、芸術、スポーツ等の地域文化の担い手だったのだ。
 作中に「失われた昭和」がいっぱい詰まってる。
 東の「サザエさん」、西の「じゃりン子チエ」と並び称しても良いのではないか。
 人間たちのリアルな生活風景と並行して、ファンタジックな猫たちの世界が広がっているのも非常に面白い。

 そう言えば昔、関西圏ではアニメのエンドレス再放送をやっていたっけ(笑)
 特に土日の昼間とか、復活してくれないものか。
 しょうもないネトウヨレベルの政治ワイド放送するくらいなら、「じゃりン子チエ」流してる方が遥かに関西のためになると思うのだ。
 近年再放送されないのは、まさかとは思うが、コンプライアンス的な何かなのだろうか?

 今刊行されているコンビニ版は旧単行本の二巻分ほど、第一話〜ヨシ江が家に帰って来るまで収録。
 ヒラメちゃんやアントニオジュニア、コケザル、地獄組のボス等は未登場。
 レギュラー陣が出揃うくらいまでは再読したいので、続刊に期待!
 ついでにスピンオフ「どらン猫小鉄」も、もう一度!

posted by 九郎 at 12:40| Comment(0) | 児童文学 | 更新情報をチェックする

2019年03月02日

おりがみ雛人形2019 五人囃子

 ブログ開設のかなり早期から折り続けてきたおりがみ雛人形、今年は満を持して(笑)五人囃子に手をつけます!
 テキストは我がバイブル「おりがみ歳時記 春」(河合豊彰)!



 一度、普通の一辺15cmおりがみで練習、手順の確認。
 上半身と下半身の2パーツで、折り方自体はさほど難しくありません。
 これに頭部と各楽器、それぞれのポーズでバリエーションを付ける感じですね。

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 手持ちの和紙から紙選び。
 ここまでの大きさに合わせて、一辺8.6cmの和紙セットから。
 和紙は風合いでは手すきがいいのですが、小サイズの場合は機械ずきの方が折りやすいです。

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 同色で五人分は揃わないので、色味の似た二人と三人の組合せにします。
 最初の普通おりがみと、先程選んだ和紙で折ったものの比較。
 基本はこれで行きましょう。

shina2019-03.jpg

 続いて五人分の基礎折り。
 季節柄お湯で食器洗いをしているせいか、指先がガサガサして折りづらい!
 荒れていると和紙の繊維が引っ掛かり易いので、指先ケアも必要です!

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 一穴パンチで顔パーツを打ち抜き、2センチ角のおりがみから、かぶりもの×五人を折ります!

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 膝を曲げて座った姿勢にし、別パーツで作った各楽器等を持たせてポーズを整えます。

 そしてついに!
 五人そろって、五人囃子!

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 長年の懸案がついに解消されました!

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 これまでのまとめは以下に!
 おりがみ origami 雛人形まとめ(2019年最新版)
posted by 九郎 at 18:50| Comment(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2019年02月24日

圧倒的民意

沖縄県民投票で「辺野古新基地反対」という、これ以上ないほど明確な圧倒的民意が示された。
安倍政権の異常が、より明確に浮き彫りにされた形になる。


記念に、何年か前に沖縄に行った時のスケッチを掲載。
通りがかりの児童公園にバケモノみたいなガジュマルがあって、たまらず一枚描いたもの。
gaju002.jpg
posted by 九郎 at 23:50| Comment(0) | 沖縄 | 更新情報をチェックする

2019年02月23日

めんどくさいハルマゲドン!

 もう二週間ほど前のことになりますが、耳にした時ちょっとした驚きがあり、その後もじわじわ効いてきて、ずっと考え続けているニュースがありました。
 即席の袋麺の売り上げが、とくに若年層を中心に右肩下がりで落ち続けているというのです。
 折しもNHKの朝ドラではチキンラーメン創成期のストーリーが放映され、盛り上がっているのかと思いきや、のニュースです。
 袋麺の売り上げが落ちる一方、同じ即席のカップ麺は堅調とのこと。
 考えられる理由は、まあ皆さんも最初に思いつくであろう「袋はめんどくさい」ということでしょう。

 人間の数ある感情の中でも「めんどくさい」は極めて強力な感情です。
 ほとんど「最強」と言って良い感情で、対抗できるのは「おもしろい」か「愛しい」くらいしか見つからないと言うのが私の持論です。
 それも、成育歴の中で「めんどくさい」の侵略を受ける前に、「おもしろい」「愛しい」を原体験しておく必要があります。
 先に「めんどくさい」が入ってしまうと、そこから「手間のかかる楽しみ」を上書きするのは至難の業です。

 私も90年代の学生時代から劇団員時代にかけて笑ってしまうほど貧乏だった頃、即席麺はよく食ってましたが、あまりに貧乏過ぎてカップ麺はぜいたく品でした。
 袋麺の安いやつと比較して、一食三倍くらいしたはずで、今も相場はそんなもんでしょう。
 コスパで言えば米最強。
 その次が近所のパン屋のサービス品のパンの耳(正方形で、片方から見ると食パンに見える)、最後に五食入りの袋麺という感じでした。
 月初めの金のあるうちに米を5キロ確保し、それを食い延ばすために他を挟んでいく感じで、貧乏なりに工夫するのが楽しかったものです。
 私の場合は「貧乏」が「めんどくさい」に打ち勝っていたわけです(笑)
 今の若い子らの多くもさほど裕福ではないと思いますが、「貧乏なりに楽しみを見つける」のを圧倒するほど「めんどくさい」の侵略が進んでしまっているのかもしれません。

 そう言えば最近の若者にとっては、マンガすら「めんどくさい」部類のエンタメになりつつあるという話を聞き、驚愕したことがありました。
 マンガで育ち、「マンガばかり読まないでもっと本を読みなさい!」と言われ続けてきた世代の私にとっては非常に分かりにくい感覚だったのです。
 しかし自分でもスマホを持つようになって、マンガや小説を読む時間がかなり減ったことに気付くと、「無理もない」と思うようになりました。
 スマホを持って、マンガや小説に使う時間が減ったとは言え、私は今でもおもしろい作品を探すことに貪欲ですし、読む時はがっつり読みます。
 しかしそれは、スマホ以前に読書体験の膨大な蓄積があったればこそ。
 読書の楽しみを知る以前にスマホを持ってしまっていたら、どうなっていたかわかりません。
 70年代の幼児であった私は、様々ないわゆる「昔遊び」も現役でしたし、コンピューターゲームはちょうどで初めでしたがまだ全身でハマるような進化は遂げておらず、ガンプラブームは非常に手間と技術を要するホビーでした。
 今のように子供でも扱える携帯ゲーム端末でネットにつながる時代に生まれたらと思うと、子供たちの「めんどくさい」感覚を、上から目線で批判するのははばかられます。

 食べ物なら袋麺、暇潰しだったらマンガ辺りに、何らかの「分水嶺」があるのかもしれません。
 袋麺がめんどくさくなければ、調理に進める。
 マンガがめんどくさくなければ、他の書物に手が届く。
 文化の最終防衛ラインと言うか、何かそのようなものが決壊しつつあるのを感じます。
 袋麺が売れない、マンガが売れないというのは、大袈裟に言うと「めんどくさいハルマゲドン」じゃないかと思うのです。

 めんどくさい幻魔大戦、じんわりと進行中です。
posted by 九郎 at 23:52| Comment(0) | | 更新情報をチェックする