2017年11月07日

最初の修行4

 就学前の段階では、好奇の目はさほどでもなかった。
 保育園や幼稚園の子供同士では、「見慣れない容姿」を素朴に珍しがることはあっても、それが侮蔑につながることは少ない。
 むしろ、大人の好奇に満ちた視線に違和感を持っていた記憶がある。
 小学生になってからは、眼鏡をかけていることを理由にバカにされるケースが出てきた。
 眼鏡をかけていることがなぜ侮蔑の対象になるのか?
 改めて考えると不思議だが、今ならわりと冷静に分析できる。
 さほど深い理由などなく、マンガなどの眼鏡キャラの類型を勝手に当てはめ、「がり勉」とか「運動音痴」とかのイメージを重ねることがきっかけになったのではないかと思う。
 とくに「メガネザル」と呼ばれるのが悔しかった。
 ずっと長くその名詞を耳にすると構えてしまうところがあったが、ある時期から「それはメガネザルに対して失礼だ」と気付き、こだわりは解消された。
 ただ、「バカにされる」と言っても単発で、継続的、集団的ないじめに発展することが無かったのは幸運だった。
 それもせいぜい3〜4年くらいまでのことで、5〜6年になって眼鏡をかける人数が増えてくると、反比例するようにからかいの対象になることは減っていった。

 少数派が好奇の視線を受け流す術は、様々にあるだろう。
 私の場合、言葉にするなら自分を「通りすがりの絵描き」と想定することで、心の平衡を保っている所があったと思う。
 私は幼い頃、親が共働きだったので、昼間は母方の祖父母の家で過ごし、そこから保育園や幼稚園にも通っていた。
 常に自宅周辺と祖父母宅周辺の二つの世界を行き来する旅人の感覚があり、遊び仲間も二か所に分かれてそれぞれに存在した。
 そうした感覚は他の子たちとは共有されず、普通は「一つの世界」で完結しているらしいことも分かっていた。
 眼鏡をかけていることの他にもう一つ「普通とちがう」ことがあり、相対化されていたのだ。
 小学校に上がり、住む世界が自宅周辺に一元化された後も、なんとなく「旅人気分」は残っていた。
 元々孤独癖、夢想癖があり、一人遊びを好む傾向もあったので、旅人気分は苦にならず、そっちの方が楽だった。
 お仕着せの「眼鏡キャラ」とは別の、自ら選んだ通りの良いキャラ設定で、自分を守っていたのだと思う。
 とくに5〜6年になるころには、ガンプラを作るのが得意だったり、剣道が上達したり、中学受験の勉強で成績が上がったりと、小柄なメガネ君ながら、いくつも自信を持てる分野が広がって来ていた。
 そうした高学年時代の気分は、作品化したことがある。

 図工室の鉄砲合戦

 そして、何よりも私は絵描きだった。
「通りすがりの絵描きですが、何かできることはありますか?」
 そんな気分が成育歴の中でずっと続いた。
 今でもそれが、一番しっくり馴染むのである。

 結局私は、幼児の頃から中学にかけて、ずっと眼鏡をかけていた。
 訓練の甲斐もあって徐々に視力は回復し、中二ぐらいで眼鏡をはずした。
 左右の視力のアンバランスは残しつつも、高校生の頃には裸眼で右1.5、左2.0ほどになり、むしろ眼はよく見える方になった。
 高校以降の知り合いは、私に対して「眼鏡をかけている」というイメージは全く持っていないだろう。
 元は遠視だったこともあり、老眼になるのは早いだろうと、ずっと言われてきた。
 ここ数年、そろそろ老眼鏡の世話になり始めている。
 これから私は、ゆっくり「視えない」という原風景に還っていくのだろう。
 別に何かを失うわけではない。
 元いた所へ戻るだけだ。

 色々あったが、今はもう、幼い頃眼鏡をかけていたことが原因で色々言われたことについて、痛みも怒りもほとんど感じない。
 無知無理解がそれをさせたのだということで、一応受け止められている。
 むしろ、子供の頃からマイノリティの気持ちを理解し得る立場にありながら、自分自身がやらかしてしまった差別の数々に、心の痛みを感じる。
 やってしまった当時は悪気が無く、それが差別であると思いもしなかった行為の数々が、どれだけ残酷であったかということに、ずっとあとになってから気付き、愕然とする。
 気付かないだけで他にもまだまだやってしまっているのだろうと思うと、後悔に身悶えしたくなる。
 そんなことが度々ある。
 なんのことはない、私も「やっている側」だったと気付いた時、幼少時の痛みの大半は消えた。

 差別やいじめは、人間の原始的な感情の領域に根差しているので、そうした衝動が心の中に生じること自体は止め難い。

 いじめは本能

 それを実際の発言や行動に移す前に自省、自制することは可能なはずで、なにより大切なのは知識、正しい認識だ。
 眼鏡をかけた児童が、以前ほど好奇の目で見られなくなったように、様々な差異が少しずつ「当り前の風景」の中に入っていけるよう、まずは知ることだ。
 今後の人生でも、私は無知無理解から繰り返しやらかしてしまうだろうけれども、それを減らす努力はしなければならない。
 せめて自分の中に今もいる弱視児童の自分に対し、恥ずかしくないふるまいを。
(「最初の修行」の章、了)
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2017年11月06日

最初の修行3

 どうやらこの子はお絵かきが好きらしいということで、私の視力矯正訓練にはそうした要素が取り入れられた。
 今でも覚えているのは、塗り絵などの線画にトレシングペーパーをかぶせ、上からなぞっていくというもので、これは今考えると、お手本の上に半紙をかぶせてお経や仏画を書き写す「写経」「写仏」の稽古そのものだ(笑)
 がんばって描くとほめてもらえるのがうれしくて、この訓練はわりと好きだった。
 単なる「なぞり書き」と侮るなかれ、あらゆる表現はモノマネから始まる。
 お手本をトレスして完成された線を体感するのは、絶好のスタートダッシュになるのだ。
 幼児の頃の「得意」は、要するに「自分で好きでやっている」回数とイコールだ。
 私は四才から保育園に通っていたが、同年代の中では(実際大した差はないのだが)「絵がじょうず」ということになり、その体験が、はるかに時が流れた現在につながっている。
 卵と鶏のように因果関係は微妙だが、弱視であったことが「絵描き」の私を作ったということもできるのだ。

 左右の視力にアンバランスがあり、とくに右目の訓練が必要だったので、視える方の左眼に「アイパッチ」を貼ることもあった。
 眼鏡をかけていれば右眼も日常生活に不自由はない程度には視えていたので、できれば普段からなるべくアイパッチ使用を勧められた。
 しかしさすがに幼児にとってはストレスが大きく、嫌がってあまり貼らなかったと記憶している。
 このアイパッチによる矯正訓練は今でも行われているようだ。
 子供向けの絵画指導をしていると、たまに片目に貼っている子を担当する機会がある。
(無理のない程度にがんばれ!)
 そんな風に心の中でエールを送っている。

 視力矯正が始まった幼児の頃から、母親はよく駅前市場で鶏の肝焼きを買ってくるようになった。
 これを食べると目にいいからと勧められるうちに、あの香ばしくほろ苦い味が好きになった。
 肝が目に良いというのは民間療法で昔から言われてきたことだと思う。
 数年前、雑賀衆に関する本を色々漁っている時、神坂次郎の小説の中に「雑賀衆が夜目遠目を効かせるために、地元の魚の肝を食べている」という描写を見つけたことがある。
「へ〜、やっぱり肝って眼にいいのか?」と、昔を思い出したものだ。
 ビタミン類の補給などで、それなりに科学的根拠はあるのだろう。

 私が幼い頃、眼鏡をかけている子は非常に少なかった。
 通っていた保育園、幼稚園では他に見かけなかったし、もっと同級生の増えた小学校でも、入学当初は学年に何人もいなかったと記憶している。
 小学生時代は、今のようにスマホは無かったが、TVもマンガもゲームも、視力を消耗するホビーは既に人気だった。
 そして学年が進んで学習時間が増えるとともに、徐々に近視で眼鏡をかける子は増えていったが、幼児の頃から弱視が原因で眼鏡をかける子は、今よりもっと少なかったはずだ。
 これは「時代と共に弱視の子が増えている」というより、検査法の発達により、早期発見のケースが増えたためではないかと思う。
 全ての年齢層で眼鏡をかけている人が増え、日常生活の中で接する機会が多くなると、「眼鏡は数ある個性の中の一つ」としいう認識が定着する。
 今はもう、大人も子供も眼鏡をかけているからと言って特別視されることは少ないだろう。
 しかし私が幼い頃は、まだ認識がそこまで至っておらず、大人にも子供にも珍しがられることが多かった。
 もっとはっきり書くと、好奇の目で見られ、バカにされることがけっこうあった。
(続く)
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2017年11月04日

最初の修行2

 三歳の頃、弱視の診断を受けた。
 それからは、頻繁に視力検査と矯正訓練が繰り返されるようになった。
 何しろ幼児のことなので、検査する方も大変だったと思う。
 左右の区別もあやうい年齢なので、視力検査票の輪っかマークの欠けている方向は、一々手に持ったマークで再現させなければならない。
 今は幼児向けの検査方法も進歩して、あの欠けた輪っかマークをドーナツに見立て、周囲に動物などのキャラクターを配して「ドーナツたべたのだあれ?」という質問形式になっているようだが、約四十年前にはまだそんな工夫はなかった。
 それでも小さい子の集中力はそんなに長く続かないので、うまくおだてながら進めなければならないのは、今も昔も変わらないだろう。
 大人になった今の私は、幼児向けのお絵かき指導の機会があるたびに、小さい頃対応してくれた眼科の先生方のことを思い出すのだ。

 検査と訓練の過程で、幼い私はある「技」を習得していった。
 視力検査表を、実際に見えている以上に読み取ることができるようになったのだ。
 度重なる検査に飽き飽きしていた幼い私は、さっさと段取りを終わらせたいという思いや、少しでも現状を楽しもうという思い、「いい結果が出ると周りの大人たちが喜ぶ」という観察から、鮮明には見えていない検査表のマークを推測で読み取る技術を、なんの悪気もなく密かに磨き続けていたのだ。
 具体的には、鮮明に見えているマークを焦点をぼかすことによって「ぼんやりとしたシルエット」に変換し、その印象と比較検討することによって小さくて見えにくいマークを読み取り、また検査表全体のマークの配置具合などからも総合的に判断する、というものである。
 言葉で説明するとものすごく難しそうに感じるかもしれないが、幼い子供はこのような「ゲーム」には驚くべき能力を発揮することがあるものだ。
 視力検査というのはあくまで「視力の実態」を知るためのものだというような大人の常識は、幼児には通用しない。
 当時の私にとって、視力検査は完全に「高得点を上げるためのゲーム」と化しており、頭を高速回転させながら、実際より少しずつカサ上げされた検査結果を生み出していたのではないだろうか。

 幼い頃身につけたこの「技」は、けっこう習い性になってしまっている。
 数年前、久々の視力検査を受けたとき、無意識のうちに「技」を使ってしまっている自分に気づき、内心で苦笑した。
(あかんあかん! ゲームと違うんやから普通にせなあかんがな!)
 以後は普通に見えるものは見えるといい、見えないものは見えないと答えた。

 受診時の検査は眼科の皆さんの手練でなんとかクリアーできるとして、日常的な矯正訓練にはもう少し「本人が積極的にとりくむ」要素が必要になる。
 とくに幼児の場合は「楽しさ」が無いとなかなか続かない。
 私の場合、「お絵かき」が取り入れられた。
(続く)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

最初の修行1

 このマイナーな「神仏与太話BLOG」も、開設からぼちぼち十二年が経とうとしている。
 最初期から断続的に書き継いでいるカテゴリ原風景では、浄土真宗の僧侶である父方のことや、大工であった母方の祖父宅で、幼児期の昼間の時間を過ごしていたこと、そして夢想とも現実とつかない奇妙な記憶のことなどを書いてきた。
 久々に自分でも読み返してみて、書こう書こうと思いながら、なんとなく先延ばしにしてきた事柄を一つ、思い出した。
 他の記事中では何度か断片的に触れてきた、幼児期の「弱視」のことだ。
 考えてみればこれは、今の私の原風景の中の原風景、原点の中の原点である。
 そろそろ書き留めておかなければならない。

 私が弱視であることが判明したのは三歳の頃。
 おそらく生まれつきの低視力だったはずだ。
 私の記憶の中に、母親が異常に気付いた時の情景が残っている。
     *     *     *
 自宅の居間である。
 私は一人、背もたれにカエルの顔のついた幼児用のイスに座り、低めのタンスの上のテレビを見上げている。
 番組は「仮面ライダー」か何かだったのではないかと思う。
 家事をしていた母が、ふとテレビを見上げる私の視線に違和感を持つ。
 顔を斜めにして見ていることに気付いたのだ。
 その時、何らかの会話があったと思うのだが、内容までは覚えていない。
     *     *     *
幼児の頃の記憶なので、事実関係として正確かどうかはわからない。
 全く別のシーンが混入しているかもしれないが、ともかく私の記憶の中では「そういううこと」になっている。
 その後、眼科を受診した結果、遠視の低視力で、右眼が左眼の半分程度しか視えていないことがわかった。
 比較的視えている左ばかり使う癖が出来ていたのだ。
 さっそく眼鏡を作ることになった。
 眼鏡をかけ始めた頃、食事時に私が言ったセリフを、母親から何度も聞かされた。
「ごはんのつぶつぶが見えるわ!」
 それまでごはんつぶが視えていなかったようだ。

 子供の弱視は、数としてはけっこう多いという。
 生まれつきそれが常態の幼児本人にとっては、「あまり視えていない」ということ自体が認識できない。
 なるべく発達の初期段階で発見し、治療を行うのが望ましいが、全く視えていないわけではないので、年齢が低いほど周囲に気付かれにくい傾向がある。
 時代と共に幼児向けの検査方法が発達し、認識も広まってはいるが、見過ごされるケースもまだまだ多い。
 
 私の場合、幸運は二つあった。
 一つは、親が早い段階で気付いて眼科に連れて行ってくれたこと。
 目の前の茶碗のごはんつぶが視えないくらいの弱視でも、眼鏡をかければそれが視える。
 この「実際に視える」という体験が、発達の初期段階であるほど視力回復を促すのだ。

 そしてもう一つの幸運は、視力矯正の良い先生に巡り合えたことだ。
 三歳で眼鏡をかけることになった私は、視力矯正の訓練のため、頻繁に眼科に通うことになった。
 長じてはあまり医者にかからなくなったので、これまでの人生で受診回数をカウントすると、眼科がダントツで多いだろう。
 私の生涯最初の「修行」は、このように開始されたのだった。
(続く)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2017年11月02日

2017年11月の体調管理

 ハロウィンも終わり、もう11月!?
 
 ニュースによると、神戸の山口組本部で仮装した組員たちが地元の子供たちに駄菓子を配るハロウィンイベントが、今年も行われたとのこと。
 ふと、組員同士の会話シーンの妄想が浮かぶ。

「おい、今年のハロウィンのオバケ、どないしようかいな」
「アニキは普段通りで十分怖いんちゃいますか」
「やかましわ!」

 ……とか。

 まあ、色々批判はあるだろう。
 しかしいくらやくざのやることでも、犯罪行為ではない単なる地域活動。
 一々目くじらを立てず、楽しめばええんとちゃうのというのが、当ブログの立ち位置です。

 山口組関連記事

 急に寒くなってきたので冷えないように注意。
 年のわりに薄着好みなのだが、意識的に少し厚く、布団は一枚多めに。
 体調はずっと悪くない。
 昨年6月のヘルニア騒動から後、大きく崩れることは無く、長い付き合いの胃腸炎や腰痛も出ていない。
 ヘルニアをだましだまし抱えていることの負担は、やはりけっこうあったのだなとあらためて思う。
 体重はやや増加傾向。
 リバウンドで「元の木阿弥」というほどではないが、ずっと続けている緩めの糖質制限の効果が、やや弱くなっている気がする。
 思い返してみるとこれもヘルニア手術後の傾向。
 どうやら日常的な胃腸への負担が減った分、消化吸収が良くなっているようだ(苦笑)
 糖質制限のレベルを一段階進める時期に来ているかもしれない。

 日々腹の立つニュースの多い昨今だが、少し前に非常に不快なものがあった。
 生まれつき茶髪の高校生が、学校に黒く染めることを執拗に強要され、不登校になったとして提訴したという報道だ。
 全く意味が分からない。
 髪染めを禁止したり、髪形を制限するというのなら、「今時髪の毛ぐらいどうでもええがな」とは思うが、まだ理解の範疇にある。
 生まれつきの身体的特徴を強制指導の対象にするというのは、どこをどう考えても「差別」以外の何物でもない。

 こういうニュースを目にすると、幼い頃弱視で眼鏡をかけていた頃の記憶がよみがえってくる。
 世の「普通」の人間どもの、決して悪気はないふるまいを、おれは忘れることはない。
 そしてその記憶は、絵描きである今のおれさまの、かけがえのない「宝」でもあるのだ。
posted by 九郎 at 17:50| Comment(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする