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●石の宝殿
高砂周辺エリアの目玉は、なんといっても生石(おうしこ)神社の御神体「石の宝殿」だ。
JR宝殿駅から神社まで直進する道をゆっくり徒歩で30分。採石が今も続く竜山の一部として宝殿山は鎮座する。
石の宝殿は風土記にも記述があり、それによると聖徳太子の時代に作られたとされる。
一辺6mほどの巨大な石の立方体で、奥行きがやや長く、後ろに突起物がある形状は、よく「ブラウン管テレビ」にたとえられる。
上面には堆積した土から低木が生えており、足元は掘り下げられた溝の水が溜まり、浮いているようにも見える。
形状は「横倒しになった家形石棺」そのものに見えるが、なにしろ大きさが桁違いで、誰が何を目的に作ったのか、はっきりわかっていない。
案外「デカい石棺を作ったものの、デカ過ぎて起こすことも動かすこともできなかった」というのが真相なのかもしれない。
社伝によると、オオアナムチとスクナヒコナが造営しようとした石の宮殿とされており、播磨国風土記の主役、伊和大神の系統だ。
古代からこの地は石材業が盛んで、神社の周囲は現代も採石場になっている。
石材業が盛んな例はここから北へ向けて、加西市の高室や、多可町の巨人伝説などがあり、加古川の水運との関係も気になる。
生石神社は戦国時代の動乱にも巻き込まれた。
三木合戦の折、織田軍羽柴方に協力を要請され、断ったために火攻めにあい、社殿も伝来物も灰燼に帰したという。
石の宝殿脇を登った宝殿山頂からは、神島(上島)が遥拝できる。
ここから見ると、ちょうど河口両岸の工業地帯の煙突や鉄塔に挟まれていて、科学文明の作った巨大な鳥居のようにも見える。
背後に高御位山、南に神島を望み、播磨の古代から中世、近現代が積み重なった風景が広がっているのだ。
